2012年11月20日火曜日

現社研の駒場祭企画は1号館150教室でおこないます


(直前の告知で申し訳ありません――飯島)
 
9月の現社研秋合宿から学習を続けてきました「安楽死問題」は駒場祭にて集大成ということになります。これまでの学習成果を発表する趣旨で、パネル展示&冊子配布として「安楽死と向きあう」という企画を実施します(すでに、現社研のホームページにてアップしておりますので、そちらもあわせてご覧下さい)。

現代社会に生きるとは?「安楽死」と「尊厳死」の違いとは?海外での「安楽死」の議論って?自己決定権とは?あなたは、どう生き、どう死にたいですか?その答えを探しに、現社研の展示に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

日時・場所は下記となります。このブログをご覧になって現社研の日頃の活動に興味をもたれた方など、ぜひご来場ください。現社研の会員がお待ちしております(入場無料)。
 
●日時:11月23日(金・祝)〜25日(日)

    9時00分〜18時00分
         (最終日は17時00分まで)

●場所:東京大学駒場キャンパス1号館150教室
         (2階・時計台のある建物)

11月7日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした


(ブログのアップが滞ってしまっていて、申し訳ありません。大変遅くなりましたが、11月7日の学習会の模様をアップします――飯島)
 
現代社会研究会(現社研)の皆様、117日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。新入会員による今回の報告は、英字の文献にまで丹念にあたるなど、入念な準備がなされており、大いに勉強となりました。

今回の学習会では、「オランダに見る安楽死――死の自己決定権の帰結」と題して、「安楽死のできる国」として知られる、安楽死“先進国”・オランダの実例を学ぶことで、日本での安楽死の是非をあらためて考える報告がなされました。オランダは、世界に先駆けて、2001年にいわゆる安楽死法を成立させ、安楽死を刑法上合法化しました。報告では、安楽死法制定に至るまでの過程を追いつつ、安楽死法制定後の課題を浮かびあげつつ、オランダではなぜ「死ぬ権利」が定着していったのか、その文化的背景にまで言及がなされました。

オランダにおける安楽死合法化運動の歴史が報告者から詳細に報告されましたが、ここで簡単に触れてみます。その歴史は、1973年のポストマ事件判決にまでさかのぼります。この事件は、女医であるポストマ氏が、脳溢血のため半身マヒ状態にあった87歳の母親に請われ安楽死させ、嘱託殺人で起訴されたものです。この裁判は、オランダ国内で「安楽死の是非」を問う国民的論議に発展したことで知られています。結局裁判は、患者の死期を早めても、患者の苦痛をとるための鎮痛剤投与は容認さえるという立場を取りました(1年の執行猶予付き禁固刑1週間という象徴刑)。裁判所はその要件として、①患者は不治の病にある。②耐え難い苦痛がある。③患者は死にたいと希望している。④実施するのは医師で、他の医師と相談した、という四つを示しました。

この事件でポストマ氏を支持した患者グループや法律家、医師らを中心に「自発的安楽死協会」が設立され、政界では安楽死合法化を主導する新政党「民主66」が伸張。80年代には、スコーンハイム事件で国内世論は沸騰し、安楽死容認が大きな流れとなります。

この事件は、開業医スコーンハイム氏が、安楽死を求めるリビング・ウィルにサインしていた95歳の女性患者を安楽死させたとして嘱託殺人で起訴されたものです。結局、スコーンハイム氏は無罪となりますが、その無罪判決はオランダ刑法40条が定める「不可抗力によって罪を犯した者は処罰されない」を根拠とされました。ここで、王立医師会が「患者の自決権」をもとに「無益な延命治療の自粛」を打ち出し、結果として90年に政府と王立医師会が安楽死届出制を開始します。

この制度により、医師は安楽死を行なった後、20項目の質問に答える報告書を提出する仕組みが定着します。このような安楽死容認の動きを背景としつつ、94年シャボット事件判決が下されます。最高裁は自殺未遂を繰り返した50歳の女性を安楽死させた精神科医シャボット氏に対して有罪だが刑罰は科さないと判決。この女性は肉体的には全く健康でした。この裁判で、精神的苦痛であっても安楽死要件を構成する苦痛足り得ることが判示されます。このような経緯のもと、2001年の安楽死法案の可決に至るわけです。

一連の法制化の動きを追うなかで、「安楽死はどの国でも水面下で行われている。我々は透明な制度を作ろうではないか」という、時のオランダ首相の言葉が事態の推移を象徴的にあらわしているように思われてきます。それは、麻薬や売春を合法化しているオランダの“国風”をあらわしていると言えるかもしれません。つまり、これまで密室のなかで非合法でなされてきた「安楽死」殺人を条件付きで一定程度合法化することで、第三者の人間からも目に見える形にガラス張りし、安楽死行為全体をチェック可能にして、これまで“闇”のなかで無軌道に行われてきた「安楽死」行為を防ぐという、制度化のメリットの享受をめざす“国風”を、です。

ただし、そこには様々な課題も浮き彫りとなっています。難病をかかえた新生児の安楽死(ハンスとジェニー事件)や、認知症の老人の安楽死(ヘンク事件)に象徴されるような、自己決定権がどこまで認められるのか、その線引きをめぐる課題です。それは、「意味ある生」とは何かという問いにも結びつきます。さらに、重度の障害者、昏睡状態の患者、重度の精神遅滞患者の生命終結を承認する道への第一歩になりかねない、という<滑りやすい坂道論>にまで発展するでしょう。

報告後の議論では、オランダのコーヘン医師による「安楽死の制度化4要件」も話題となりました。すなわち、オランダで安楽死が合法化される理由として、①誰もが公平に高度な治療が受けられる医療・福祉制度、②腐敗がなく信頼度の高い医療、③個人主義の徹底、④教育の普及、という四要件が存在しているという点です。この理由から、個人の尊厳よりも家族の意向が尊重される日本では、安楽死法をオランダから輸入することは不可能だ。9割の老人が独り暮らしで、掛かりつけ医が整備されている、「自由と寛容」の国・オランダでこそ安楽死法が可能なのだ、と結論づける見方もあります。特に、わたしは「個人主義の徹底」への自信には驚かされます。仮に患者の自己決定権は環境に左右されるものだとしたら、その「環境」をめぐる日本とオランダの違いに注目せざるをえません。「自由な国・オランダ」と「不自由な国・日本」などいうような見方は図式的に過ぎるでしょうが、文化的背景にまで思い至る次第です。

以上、学習会の模様を(少々長くなりましたが)概括してみました。

 
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現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。

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(文責:飯島)
 

2012年11月2日金曜日

次回の学習会は11月7日(水曜日)です。

 現代社会研究会(現社研)の皆様、10月30日(月)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。

今回の学習会もテーマが「安楽死問題」でした。報告者は、「安楽死問題」でも外すことのできない「自己決定権」の根本にある「自己」あるいは「自我」の今日的意味を探るという意図で、「自己」あるいは「自我」の概念をめぐる、これまでの思想的な歩みを、その一部ですが簡単にフォローしました。以下、その報告の模様を簡単に触れます。

まず、ジョン・ロック(『人間知性論』)、ヒューム(『人性論』)、アダム・スミス(『道徳感情論』)の17・18世紀のイギリス経験論における、「人格(自我)」をめぐる議論を眺めてみました。ロックの人格同一性論、ヒュームの「心は知覚表象の束」であるという定義、スミスの「中立的な観察者の目」によって形成・調整される「利己心」に注目しました。ここに近代的な「自我」が確立したということを、一面的ではありますが、確認しました。

 そしてこれらの「個人主義」がジェレミー・ベンサムやJ.S.ミルの19世紀イギリス功利主義に引き継がれていく様を確認しました。「最大多数の最大幸福」の実現をめざしたベンサムに対して、ミルは功利主義が個人の自由な文化的な低俗主義に陥らないために、個人による自由な選択の確立を主張します。自由な選択が文化の向上に寄与するという、ミルの理想主義は明るく楽観的です。

しかし、20世紀には入り、事態は暗転します。人々はせっかく確立した「自由」を放棄し、ファシズムへと傾斜します。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾の暗い「預言」。ウォルター・リップマンの「世論」の非合理性への着目。そしてオルテガ・イ・ガゼットの『大衆の反逆』における、自由を否定する大衆の登場などを一瞥しました。そしてエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』やマックス・ホルクハイマーの『権威主義的国家』を通じて、人々がせっかく手に入れた個人的な自由を半ば積極的に放棄して、ファシズムへと向かったのか、その理由を考えました。フロムの議論を要約すると、「近代社会は、前近代的な社会の絆から個人を解放して一応の安定を与えたが、同時に個人的自我の実現、すなわち個人の知的、感情的、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得できず、かえって不安をつくり上げた」と。

つまり、かなり乱暴なまとめをすると、17・18世紀のイギリス経験論が獲得した「自我」の自由を、19世紀のイギリス功利主義が半ば楽観的に展開したのに対して、20世紀前半の時期はせっかく手に入れたこの遺産を放棄してしまう様(さま)を概観してみました。 

しかし、今回の報告における、このような見方は非常に一面的ではあります。さらに20世紀後半から現代に至る、「自我」の自由をめぐる議論にまで触れることができませんでした。また、ファシズムへの傾斜を防ぐ処方箋についても結論は出ませんでした。駒場祭に向けた今後の課題でもあるでしょう。


次回も引き続き「安楽死問題」を取り上げます。奮っての参加を求めます。 

次回の学習会のお知らせです。

●日時:11月7日(水曜日)18時30分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テーマ:安楽死問題

 

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現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。

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<文責:飯島>

2012年10月26日金曜日

次回の学習会は10月30日(火曜日)です


現代社会研究会(現社研)の皆様、10月22日(月)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。

今回の学習会も、テーマが「安楽死問題」ということで、報告者はオーストラリアの哲学者ピーター・シンガーの著書『生と死の倫理  ――伝統的倫理の崩壊』の分析をおこないました。以下、その報告の模様を簡単に触れます。

この著書によると、われわれは伝統的死生観の崩壊により、「生命の神聖性」から「生命の質」への移行に直面しているとのことです。例えば、脳死・臓器移植に関しては、シンガーの主張することによれば、①まだ生きている(体温も通常で、心臓の拍動もある)状態の脳死の人から臓器を取り出す(すなわち、死に至らしめる)ことには心理的抵抗がある、②前述の状況への対応として、便宜的に「脳死=人の死」とすることで、死人から臓器を取り出すという妥協点に収束する、③そもそも「脳死=人の死」と定義する必要などない。生きている人間を殺す(臓器を取り出す)ことは必ずしも問題ではない(倫理革命によりそれが可能になる)、ということになります。 

「脳死・臓器移植」や「安楽死」や「妊娠中絶」さらに「自殺幇助」ですら積極的に容認するシンガーが唱える「倫理革命」とは何でしょうか? シンガー自身の言葉によれば、「人命がすべて神聖であるという伝統的な見解では、私たちが直面する一連の問題に対処できない。新しい世界観に立てば、斬新で有望な取り組み方が可能になるだろう」とのことです。この主張は、「脳死・臓器移植」や「出生前診断」や「延命治療」などをめぐる医療技術の格段の「進歩」という現実を踏まえて、生命倫理のほうをその現実に合わせるという論理展開をしています。つまり、帰結主義的であり、功利主義的といえるでしょう。 シンガーによれば、「積極的安楽死」も「消極的安楽死(尊厳死)」も「自殺」も結果は同じであり、そもそもこれらの区別は意味がなく、いずれも容認できるという立場になります。

功利主義的ともいえるシンガーの立場は、シンガー自身が語っていることですが、J.S.ミルの自由に関する議論や経験論者であるジョン・ロックの「人格」の定義にまでさかのぼることができるかもしれません。ミルは「文明社会の各成員に対して、たとえ本人の意思に反しても権力を行使しうる唯一の目的は、他の成員に対する危害を未然に防ぐことである。」と語り、「他の成員に対する危害」を加えない限り何をしてもよいという(自殺を含む)「愚行権」を容認する根拠とすることも可能です。さらに、ミル以前の哲学者であるロックは「人格」を「理性と反省能力とを持ち、時と所を異にしても自分を自分として、同じ思考をするものとしてみなすことのできる存在」であると定義しています。この上述のミルやロックの議論を踏まえつつ、シンガーは「人格だけが生き続けることを欲し、将来についての計画を有する。人間ではなく人格のみが生存権を有する。だから、人格を持たない人間は生存権を有さない。」などという主張を展開します。しかし、「動物のほうが人格のない人間の心よりもはるかに人間的だ」というシンガー主張は、たとえ論理展開がクリアーであっても、その主張するところは非常にトリッキーで深刻な問題を抱えています。 

シンガーに対しては様々な批判があるでしょう。当日の報告者はそのひとつに功利主義批判を取り上げました。すなわち、「功利主義においては結果における『結果』が重視されるが、他人に不幸をもたらすこと自体によって得られる効用もある。これらの効用をどのように扱うのか。」ということです。たとえば、脳死・臓器移植(脳死判定があいまいな場合)は、他人(ドナー)に不幸をもたらす(おそれがある)こと自体によって、自分(レシピエント)が効用(臓器の提供)を得る場合がある。この場合、いかに考えるべきかという批判です。

といいますか、そもそも医療技術の高度化にともない、それとまったく歩調を合わせるようにして倫理自体を書き換えることが可能だとするならば、もはや(生命)倫理は倫理として存在しえないような気が個人的にはします。これはもはや倫理の刷新というよりも倫理の放棄なのではないでしょうか。

障害者の人権を否定しかねない、優生思想にもつながるシンガーの主張(優生思想そのものかもしれませんが)は、しかし、著書『生と死の倫理』がオーストラリア出版協会賞を受賞していることからも明らかなように、受け入れられてしまっています。そのような議論を受け入れる素地がわれわれの社会の側にあるということには注意を払いたいところです。 

次回も引き続き「安楽死問題」を取り上げます。奮っての参加を求めます。

次回の学習会のお知らせです。 

●日時:10月30日(火曜日)18時30分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テーマ:安楽死問題
 

※次回の学習会は通常どおり18時30分開始となります。ご参加される方はご注意ください。

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現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。

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<文責:飯島>

2012年10月20日土曜日

次回の学習会(10月22日)は開始時刻が変更となりました


次回の学習会のお知らせです。


●日時:10月22日(月曜日)19時40分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テーマ:安楽死問題
 
※次回の学習会は開始時刻が変更となりました。前回の当ブログにてお知らせした18時30分ではなく、19時40分開始へと遅くなりました。ご参加される方はご注意ください(なお、学習会の場所とテーマについては変更ありません)。

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2012年10月15日月曜日

次回の学習会は10月19日(金曜日)です

 10月10日に催された現代社会研究会(現社研)の学習会に参加された会員の皆さん、お疲れ様でした。今回は他大学からの見学者があり、より充実した中味のある討論ができたのではないでしょうか。今回のテーマは「安楽死」でした。以下、当日の学習会の模様を簡単に触れます。

当日の報告では、「安楽死問題を考えるセミナー」と題する「架空」ディスカッションを作り上げることによって、「安楽死問題」を多方面から照らし出す試みがおこなわれました。ここで、「架空」ディスカッションとは、自由主義者・生命倫理学者・法学者・哲学者・財務官僚・歴史学者・若医者・老医者・論理学者・保守主義者・政治学者などなど、多彩な顔ぶれで構成され、各方面の立場から見た場合に「安楽死問題」がどのような論理的帰結となるのかを、あぶり出していくものでした。このような試みは興味深く、そして成功していたと、わたしは考えます。

そして、この報告を受けて、様々なことが議論されました。たとえば、現社研の今年の秋合宿でも議論となりましたが、安楽死と尊厳死の違いについても、あらためて取り上げられました。すなわち、安楽死(euthanasia)という言葉が、「不治」かつ「末期」で「耐え難い苦痛」を伴う疾患の患者の求めに応じ、医師などが積極的に患者を死に至らしめることを指しますが、他方で尊厳死という言葉が、消極的安楽死に近い意味で使用され、「人間としての尊厳」を守るために激痛の拒否、思考や判断を失っての人工生命維持装置の拒否といった「無意味な延命治療をしないで死に至る」というニュアンスを含んでいると考えられます。

しかしながら、「安楽死の定義はない」(保阪正康)と言われるように、安楽死と尊厳死との間に明確な線引きは難しいようです。そのことは、安楽死は問題だが、尊厳死ならば積極的に認めていこうという流れにも大きな影を落としているのではないでしょうか。周知のように、安楽死肯定論を展開していた太田典礼らが率いる日本安楽死協会は1978年(昭和53年)に日本尊厳死協会に改称しましたが、「death with dignity」の訳語として、プラスイメージを含む日本語である「尊厳()」という言葉を使うことが、事態を正確に言い当てているかどうか、議論もあるでしょう。それはまた、「尊厳死」というラベリングによって、個人の死生観が悪用されるなど、一人歩きをしていく危険性もあることを意味しています。暗に自殺の奨励となり、安楽死が安楽「殺」となるような事態を懸念するわけです。このような消極的安楽死の正当化の過程において、「患者の意思尊重」の名目のもとに、逆説的ですが、「当事者の不在」という問題が起きていないか、その検証が必要だという意見も出されました。
 
さらに当日は、この種の議論で必ず言及される、オランダの安楽死法の事例についても、合意形成に問題はなかったか、話し合われました。世界においても日本においても、はたして、ナチス・ドイツに象徴されるような、優生学的な思考が悪い意味で受け継がれてしまってはいないかとの疑念が出されました。その点に関連して、(人工妊娠)中絶の是非にまで議論は及びました。日本でも中絶をめぐる法律は、戦時中の「国民優生法(断種法)」(1940年施行)が戦後直後の「優生保護法」(1948年施行)に変わり、近年の「母体保護法」(1996年施行)へと至りましたが、この動きの背景には、「安楽死」問題と同様に、優生学的な思考があったのではないかとの疑念も出されました。出生前診断の技術精度の高度化とも絡み、「母親の自己決定権」はどこまで正当化できるのかという問題が発生しています(同時に中絶は父親である男性にとっても考えるべき問題であるでしょう)。その議論は「自己決定権」は「死」にまで適用できるのかどうか、という問題と結びついていると思います。悩ましい問題だけに今後も議論していきたいです。

「安楽死問題」は、現社研における今年の駒場祭の公開発表のテーマでもありますので、引き続き取り組んでいきましょう。

さて、次回日程(駒場祭に向けた学習会)のお知らせです。学習会のテーマは、前回の学習会に引き続き、「安楽死問題」です。先述のとおり、当サークルの駒場祭企画のテーマでもあります。駒場祭まで時間が迫ってきています。皆様の奮ってのご参加をよろしくお願いします。

【次回の学習会】

〇日時:10月19日(金曜日)18:30~

〇場所:キャンパスプラザB312(部室)

〇テーマ:安楽死問題

〇参加費:無料

 
なお、次々回の日程等も決まりましたので、あわせてお知らせいたします(以下は次回〔10月19日〕の日程ではありませんので、ご注意ください。)

【次々回の学習会】

〇日時:10月22日(月曜日)18:30〜

〇場所:キャンパスプラザB312

〇テーマ:安楽死問題

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 新入会員を募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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【文責:飯島】

2012年10月6日土曜日

次回の学習会は10月10日(水曜日)です。

  9月25日から26日まで催された、一泊二日の現代社会研究会の秋合宿に参加された会員の皆さん、お疲れ様でした。今年の秋合宿は一泊二日の日程でしたが、会外の他大学の学生の方も今回参加してくれるなど、とても充実したものになったかと思います。

秋合宿の第一日目は「安楽死(そして尊厳死)」をテーマに、読書会(使用テキストは保阪正康著『安楽死と尊厳死 ――医療の中の生と死』講談社現代新書)と学習会(課題テキストを設けない自由形式の報告会)とを行いました。第二日目は「(日本の)貧困問題」をテーマに、読書会(使用テキストは阿部彩著『子どもの貧困 ――日本の不公平を考える』岩波新書)と学習会(課題テキストを設けない自由形式の報告会)とを行いました。

秋合宿の第一日目の「安楽死」をテーマとした学習会では、「死の自己決定権は認められるか?」というお題をもとに、参加者が「賛成・反対」の2チームにわかれて、ディベートを行いました。ディベートの結果は僅差で「賛成」チームが勝ちましたが、白熱したやり取りができたのは大きな収穫です。

誰でもいずれは死に直面します。あくまで本人の意思を尊重すべきとの意見に賛同する方も多いかと思いますが、医療の急激な進歩のなかで、意思の尊重をどこまで貫くことができるのか、難しい問題です。また、「本人の意思尊重」と並んで「苦痛からの解放」も大きな争点になるでしょう。さらに、「死」とは「心臓死」をもって判断すべきなのか、「脳死」をもって判断するべきなのか。「東洋的死生観」までもが絡むとされるだけに、十分な議論が尽くされているとは言い難いのが、日本の現状ではないでしょうか。

しかし、日本では2009年に臓器移植法改定によって脳死は一律に人の死とされるというように、法律上では決められてしまっています。その点からも、非自発的安楽死が強制的に、もしくは周りからのプレッシャーにより、高齢者や末期症状の患者に対して行なわれるのではないかとの懸念も報告者からなされました。
 
「安楽死・尊厳死」は、わが現代社会研究会における今年の駒場祭の公開発表のテーマでもありますので、引き続き取り組んでいきましょう。
 

なお、秋合宿第二日目の読書会と学習会は「(日本の)貧困問題」でしたが、その模様は、後日当ブログにて紹介いたします。

さて、次回日程(駒場祭に向けた学習会)のお知らせです。学習会のテーマは、秋合宿に続いて、「安楽死」です。先述のとおり、当サークルの駒場祭企画のテーマでもあります。駒場祭まで時間が迫ってきています。皆様の奮ってのご参加をよろしくお願いします。
 
〇日時:10月10日()18:30~
〇場所:キャンパスプラザB312(部室)
〇学習会のテーマ:安楽死について
〇参加費:無料

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【文責:飯島】

2012年8月1日水曜日

次回の学習会は8月3日(金曜日)13時からです。


現社研のブログ担当の飯島です。プログの更新をサボっていました。直前の告知となり、申し訳ありません!

次回の学習会は明後日の8月3日(金曜日)の13時からです。学習会の終了後には、サークルミーティング、そして前期納会をおこないます。何卒、ご参集のほどよろしくお願いいたします。

日程:8月3日(金曜日)13:00~

場所:キャンパスプラザB312(部室)

内容:
(1)学習会「核と平和をめぐって」(13時〜)
(2)サークルミーティング(学習会終了後から)
→主な議題は、駒場祭企画についてです。今年の駒場祭ではどんな企画を行いたいか、それぞれアイディアを考えてきて下さい。
(3)前期納会(夕方頃から)

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なお、現社研では、新入会員を募集しております。ホームページをご覧になって興味をお持ちになりましたら、ホームページ上に掲載の「連絡先」へお気軽にご連絡ください。
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(文責:飯島)

2012年7月2日月曜日

次回の学習会は7月3日(火曜日)です【再告知】


東大現代社会研究会(現社研)の皆さん、お疲れ様です。次回の学習会について再告知します。以下が詳細です。なお、以前の告知からの内容の変更はありません。

今回の学習会は、報告者から報告をした上で、皆で議論する予定です。そのため、参加者はあらかじめ指定された文献を事前に読んでくる必要はありません。奮っての参加をお願いします。


テーマ:「違法ダウンロード」の罰則化について

日時:7月3日()18:30〜
※先週の学習会とは異なり、火曜日になりますのでご注意ください。

場所:キャンパスプラザB312
(現社研の部室 キャンパスプラザB棟3階)

〇参加費:無料

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 新入会員を募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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【文責 飯島】

6月20日の学習会はお疲れ様でした


東大現代社会研究会(現社研)の皆さん、6月20日の学習会はお疲れ様でした。テーマは「消費税について検証する」でしたが、報告者は大量の新聞記事のフォローなど大変だったと思います。お疲れ様でした。学習会から2週間ほど経過しましたが、以下で、報告者のレジュメを参考に簡単なまとめをします。また、当ブログへのアップが遅くなったことを陳謝します。

報告は、まず世界における付加価値税の歴史を繙き、日本における消費税導入(1989年)はなにをモデルにしたのかを確認しました。そして、仕入れ税額控除とはなにか、消費者の納税義務者は誰なのか、消費税の価格転嫁の実態はどうなっているのか、など日本の消費税の仕組みを勉強しました。これに関連して、事業者にとっての消費税の影響をめぐって、「益税」「損税」の発生、免税点引き下げ(2004年)による小規模事業者への影響、免税事業者の仕入れ時における消費税負担の問題などにも、報告者は目を配りました。総じて、低所得者(消費者)だけでなく、消費税の納税義務者である中小の事業者にとっても大企業と比して不利となる、消費税のカラクリを明らかにしようと報告者は試みました。

さらに、病院などの医療施設や介護施設などでは制度上、価格に消費税を転嫁できず、自己負担を余儀なくされる問題を取り上げました。つまり、患者が支う「診療報酬」に基づいて計算するので、病院が勝手に値上げできないにもかかわらず、病院で使うガーゼや注射器などの医療品、医療機器を病院側が買う時には消費税がかかってしまうのです。

また、輸出企業(大企業)にとっては、消費税が事実上の「補助金」機能を果たしてしまう問題も取り上げました。つまり、大企業が輸出企業の場合、外国である輸出先から消費税を受け取ることができないため、政府は輸出企業に対して、部品などの仕入れ時に支払った消費税を還付(払い戻し)する制度をつくっています。しかし、輸出企業は下請企業から部品などを仕入れるとき、元請けと下請けとの間の力関係から、その下請企業に対して消費税分を支払わない場合が多々ある。にもかかわらず、消費税分を形式上支払ったものとみなされ、輸出企業は政府から還付を受けとっているのです。事実上の輸出「補助金」として機能しているのです。

その他、消費税のもたらす諸問題として以下が挙げられます。(1)所得が上昇するにつれて負担額の割合が低下するという逆進性の性格の強い消費税は、低所得者に重く、所得の上昇に伴って負担額の割合が低下してしまいます。(2)消費税は、国税のあらゆる税目の中で、最も滞納が多い税金です。(3)消費税は正規雇用から派遣雇用に切り替えると合法的に消費税が節税できる仕組みのため、経営者は雇用形態を正規から派遣へと切り替えるインセンティブが働いてしまいます。(4)消費税増税が景気にもたらす影響が大きい、などです。

消費税増税法案成立にむけて、与党である民主党と野党である自民・公明両党との間で修正協議がおこなわれています(6月20日現在)。政府案では2014年4月から税率を8%に、2015年10月から税率を10%に引き上げるとしていますが、8%段階では簡素な給付措置か軽減税率を、10%段階では給付付き税額控除か軽減税率を検討しています。これによって、食料品、衣料品や医療品など生活必需品に限り税率を特別に低く抑える措置をおこなおうことも検討されています。また、「景気条項」については増税の条件ではなく努力目標に、所得税・法人税の最高税率の引き上げは先送りとなり、高所得者の基礎年金の最大で半分減税は法案から削除されました。今後、与野党間でそのような修正がなされるのか、国会情勢を引き続き注目していきたいですね。

巷で「消費税増税は本当に必要なのか」と問えば、「ギリシャの二の舞になってもよいのか」「社会保障のために必要だ」という返事が必ず返ってくるのではないでしょうか。しかし、税収不足が年40〜50兆円であるのに対して、消費税率5%アップによる増収が単純計算で年12兆円。焼け石に水の感は否めません。税収(歳入)が少ないから消費税を増税するという姿勢は安直すぎです。税金は政府のためにあるのではなく、あくまで税金を払っている、その社会に住む人々のためにあります。「税制を見ればその国の姿がわかる」とも言われるように、税制は人々の生活や意識そのものを表現しています。

また、増税の中味が消費税だけである点にも違和感を覚えます。つまり、所得税・住民税・法人税・相続税など他の税制とのバランスはどうあるべきなのかという点にまで視野にいれて論じなければ、本当の意味でこれからの日本の税制を語ったことにはなりません。忘れてはならないのは、われわれ主権者は税金を支払うことによって、「われわれはどんな社会で生活していきたいか」ということに関する意思表示をしていることです。たしかに、野田政権は「税と社会保障の一体改革」を謳っていますが、増税論議のみが盛んで、社会保障の議論が手薄になっている印象は否めません。

いずれにせよ、「消費税増税は仕方がない」と思考停止をして無批判に受け入れるのではなく、「われわれはどんな社会に住みたいのか」という主体的な問いを持ちつつ、今回の消費税増税法案の動向を注視して、あるべき税制やあるべき社会を模索していく姿勢が求められているのではないでしょうか。現社研として今後とも考えていきたいテーマですね。


【文責:飯島】