2013年1月8日火曜日

1月10日の学習会の会場を変更します

1月10日(木曜日)の学習会の会場が都合により変更となりました。

会場は「学生会館ロビー」(駒場キャンパス)です。次回の学習会は現社研の部室ではおこないませんので、ご注意ください。

当日は、サークル名(「現代社会研究会」)を書いた黄色の紙(B4程度のサイズ)を机の上に立てておきますので、それを目印にしてください。

なお、「学生会館ロビー」の場所がわからない場合には、現社研のホームページの連絡先へメールをお願いいたします。現社研の部員の者がご案内いたします。

会場の変更以外には変更はありません。よろしくお願いいたします。

●学習会
○日時
1月10日(木)18:30から

○場所
学生会館ロビー
【※場所が変更になりましたので、ご注意下さい。なお、ロビーでは他のサークルも活動していますので、「現代社会研究会」と書かれた、机上の黄色の紙を目印にして下さい。】

○内容
再生医療について

【以上】

2013年1月7日月曜日

次回の学習会は1月10日(木曜日)です

 東大現代社会研究会(現社研)の皆さん、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
さて、今年最初となります、現社研の学習会についてお知らせします。テーマは下記のとおり、「再生医療について」です。昨年の山中伸弥氏のノーベル生理学・医学賞受賞で一層注目が集まった「再生医療」ですが、医学をはじめとして、わたし達の生活に多大な波及効果を与えると期待されています。学習会では、多機能性幹細胞(ES細胞やiPS細胞など)の利用やクローン作製、臓器培養などの医療技術を紹介しながら、再生医療の現状とその展望を見すえます。

今回の学習会は、報告者から報告をした上で、参加者全員で議論する予定です。そのため、参加者は指定された文献を事前に読んでくる必要は特にありません。奮っての参加をお願いします。


テーマ:再生医療について
日時:1月10日()18:30〜

場所:学生会館ロビー
【※場所が変更になりましたので、ご注意下さい。なお、ロビーでは他のサークルも活動していますので、「現代社会研究会」と書かれた、机上の黄色の紙を目印にしてください。】

〇参加費:無料

※※※※※※※※※※※※※※

 現社研では新入会員を随時募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、学習会の会場(「学生会館ロビー」)にお越しください。なお、会場である「学生会館ロビー」の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

※※※※※※※※※※※※※※ 

【文責:飯島】

2012年12月13日木曜日

次回の読書会は12月20日(木曜日)です。


現社研の皆さん、駒場祭企画では、お疲れ様でした。

次回の読書会のお知らせをします。下記のとおりです。
 
●日時:12月20日(木曜日)18時30分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テキスト:橋川文三「昭和維新試論(抜粋)」(中島岳志編『橋川文三セレクション』所収 岩波現代文庫 2011年)
●趣旨:

テキストである「昭和維新試論(抜粋)」は、単行本として出された『昭和維新試論』(朝日新聞社)の冒頭部分の抜粋になります。

ナショナリズムの水脈を探る――なぜ人はナショナリズムに走るのか?」という問題意識にて、上記の読書会をおこないます。わたしは、この読書会によって、日本のナショナリズムを解剖するまでに至ることができるかどうか、自信があるとまでは言い切れません。ただ、ひとつ言えることは、上記のテキストの読解を通じて、「渥美勝」という無名の一右翼人の生涯を俎上に載せつつ、昭和期ナショナリズムに少しでも肉薄することができるのではないか、という淡い期待があるということです。 

つまり、橋川文三(1922-1983)は、このテキストにて、「渥美勝」というナショナリストの内面世界や心象風景(それは、日露戦争後の青年の心に広がった不安と疎外感を素地とするものですが)を描き出し、昭和期ナショナリズムの特異性を浮かび上がらせることに、ある一定程度成功したのではないか。同時に、日本のナショナリズムの現代性の一側面をも言い当てたのではないか。この現代性ゆえに、近頃増幅する日本の「領土」ナショナリズムや排外主義に対する分析にも役立つのではないか。そう、わたしは期待するのです。

<現代日本社会に徘徊する内なる「渥美勝」を照射することで、わたし達の内面に巣食う「渥美勝」をあぶり出す>。確かに、「内なる」云々という表現自体が言い古されたものでもありますし、現代社会に生きるわたし達と「渥美勝」との半ば絶対的な距離も感じないわけではありません。ただ、わたしは、ナショナリズムの外部からナショナリズムを指弾することを否定するつもりはありませんが、現代ナショナリズムに対して内在的な批評を加える作業も無意味ではないと考えます。
 
そのような趣旨で、分量は55ページと少なめですが、あえてこのテキストを選びました。

次回が今年最後の読書会になります。年末の忙しい時期かと思いますが、ぜひご参集ください。よろしくお願いします。
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 
(文責:飯島)

2012年11月20日火曜日

現社研の駒場祭企画は1号館150教室でおこないます


(直前の告知で申し訳ありません――飯島)
 
9月の現社研秋合宿から学習を続けてきました「安楽死問題」は駒場祭にて集大成ということになります。これまでの学習成果を発表する趣旨で、パネル展示&冊子配布として「安楽死と向きあう」という企画を実施します(すでに、現社研のホームページにてアップしておりますので、そちらもあわせてご覧下さい)。

現代社会に生きるとは?「安楽死」と「尊厳死」の違いとは?海外での「安楽死」の議論って?自己決定権とは?あなたは、どう生き、どう死にたいですか?その答えを探しに、現社研の展示に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

日時・場所は下記となります。このブログをご覧になって現社研の日頃の活動に興味をもたれた方など、ぜひご来場ください。現社研の会員がお待ちしております(入場無料)。
 
●日時:11月23日(金・祝)〜25日(日)

    9時00分〜18時00分
         (最終日は17時00分まで)

●場所:東京大学駒場キャンパス1号館150教室
         (2階・時計台のある建物)

11月7日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした


(ブログのアップが滞ってしまっていて、申し訳ありません。大変遅くなりましたが、11月7日の学習会の模様をアップします――飯島)
 
現代社会研究会(現社研)の皆様、117日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。新入会員による今回の報告は、英字の文献にまで丹念にあたるなど、入念な準備がなされており、大いに勉強となりました。

今回の学習会では、「オランダに見る安楽死――死の自己決定権の帰結」と題して、「安楽死のできる国」として知られる、安楽死“先進国”・オランダの実例を学ぶことで、日本での安楽死の是非をあらためて考える報告がなされました。オランダは、世界に先駆けて、2001年にいわゆる安楽死法を成立させ、安楽死を刑法上合法化しました。報告では、安楽死法制定に至るまでの過程を追いつつ、安楽死法制定後の課題を浮かびあげつつ、オランダではなぜ「死ぬ権利」が定着していったのか、その文化的背景にまで言及がなされました。

オランダにおける安楽死合法化運動の歴史が報告者から詳細に報告されましたが、ここで簡単に触れてみます。その歴史は、1973年のポストマ事件判決にまでさかのぼります。この事件は、女医であるポストマ氏が、脳溢血のため半身マヒ状態にあった87歳の母親に請われ安楽死させ、嘱託殺人で起訴されたものです。この裁判は、オランダ国内で「安楽死の是非」を問う国民的論議に発展したことで知られています。結局裁判は、患者の死期を早めても、患者の苦痛をとるための鎮痛剤投与は容認さえるという立場を取りました(1年の執行猶予付き禁固刑1週間という象徴刑)。裁判所はその要件として、①患者は不治の病にある。②耐え難い苦痛がある。③患者は死にたいと希望している。④実施するのは医師で、他の医師と相談した、という四つを示しました。

この事件でポストマ氏を支持した患者グループや法律家、医師らを中心に「自発的安楽死協会」が設立され、政界では安楽死合法化を主導する新政党「民主66」が伸張。80年代には、スコーンハイム事件で国内世論は沸騰し、安楽死容認が大きな流れとなります。

この事件は、開業医スコーンハイム氏が、安楽死を求めるリビング・ウィルにサインしていた95歳の女性患者を安楽死させたとして嘱託殺人で起訴されたものです。結局、スコーンハイム氏は無罪となりますが、その無罪判決はオランダ刑法40条が定める「不可抗力によって罪を犯した者は処罰されない」を根拠とされました。ここで、王立医師会が「患者の自決権」をもとに「無益な延命治療の自粛」を打ち出し、結果として90年に政府と王立医師会が安楽死届出制を開始します。

この制度により、医師は安楽死を行なった後、20項目の質問に答える報告書を提出する仕組みが定着します。このような安楽死容認の動きを背景としつつ、94年シャボット事件判決が下されます。最高裁は自殺未遂を繰り返した50歳の女性を安楽死させた精神科医シャボット氏に対して有罪だが刑罰は科さないと判決。この女性は肉体的には全く健康でした。この裁判で、精神的苦痛であっても安楽死要件を構成する苦痛足り得ることが判示されます。このような経緯のもと、2001年の安楽死法案の可決に至るわけです。

一連の法制化の動きを追うなかで、「安楽死はどの国でも水面下で行われている。我々は透明な制度を作ろうではないか」という、時のオランダ首相の言葉が事態の推移を象徴的にあらわしているように思われてきます。それは、麻薬や売春を合法化しているオランダの“国風”をあらわしていると言えるかもしれません。つまり、これまで密室のなかで非合法でなされてきた「安楽死」殺人を条件付きで一定程度合法化することで、第三者の人間からも目に見える形にガラス張りし、安楽死行為全体をチェック可能にして、これまで“闇”のなかで無軌道に行われてきた「安楽死」行為を防ぐという、制度化のメリットの享受をめざす“国風”を、です。

ただし、そこには様々な課題も浮き彫りとなっています。難病をかかえた新生児の安楽死(ハンスとジェニー事件)や、認知症の老人の安楽死(ヘンク事件)に象徴されるような、自己決定権がどこまで認められるのか、その線引きをめぐる課題です。それは、「意味ある生」とは何かという問いにも結びつきます。さらに、重度の障害者、昏睡状態の患者、重度の精神遅滞患者の生命終結を承認する道への第一歩になりかねない、という<滑りやすい坂道論>にまで発展するでしょう。

報告後の議論では、オランダのコーヘン医師による「安楽死の制度化4要件」も話題となりました。すなわち、オランダで安楽死が合法化される理由として、①誰もが公平に高度な治療が受けられる医療・福祉制度、②腐敗がなく信頼度の高い医療、③個人主義の徹底、④教育の普及、という四要件が存在しているという点です。この理由から、個人の尊厳よりも家族の意向が尊重される日本では、安楽死法をオランダから輸入することは不可能だ。9割の老人が独り暮らしで、掛かりつけ医が整備されている、「自由と寛容」の国・オランダでこそ安楽死法が可能なのだ、と結論づける見方もあります。特に、わたしは「個人主義の徹底」への自信には驚かされます。仮に患者の自己決定権は環境に左右されるものだとしたら、その「環境」をめぐる日本とオランダの違いに注目せざるをえません。「自由な国・オランダ」と「不自由な国・日本」などいうような見方は図式的に過ぎるでしょうが、文化的背景にまで思い至る次第です。

以上、学習会の模様を(少々長くなりましたが)概括してみました。

 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

(文責:飯島)
 

2012年11月2日金曜日

次回の学習会は11月7日(水曜日)です。

 現代社会研究会(現社研)の皆様、10月30日(月)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。

今回の学習会もテーマが「安楽死問題」でした。報告者は、「安楽死問題」でも外すことのできない「自己決定権」の根本にある「自己」あるいは「自我」の今日的意味を探るという意図で、「自己」あるいは「自我」の概念をめぐる、これまでの思想的な歩みを、その一部ですが簡単にフォローしました。以下、その報告の模様を簡単に触れます。

まず、ジョン・ロック(『人間知性論』)、ヒューム(『人性論』)、アダム・スミス(『道徳感情論』)の17・18世紀のイギリス経験論における、「人格(自我)」をめぐる議論を眺めてみました。ロックの人格同一性論、ヒュームの「心は知覚表象の束」であるという定義、スミスの「中立的な観察者の目」によって形成・調整される「利己心」に注目しました。ここに近代的な「自我」が確立したということを、一面的ではありますが、確認しました。

 そしてこれらの「個人主義」がジェレミー・ベンサムやJ.S.ミルの19世紀イギリス功利主義に引き継がれていく様を確認しました。「最大多数の最大幸福」の実現をめざしたベンサムに対して、ミルは功利主義が個人の自由な文化的な低俗主義に陥らないために、個人による自由な選択の確立を主張します。自由な選択が文化の向上に寄与するという、ミルの理想主義は明るく楽観的です。

しかし、20世紀には入り、事態は暗転します。人々はせっかく確立した「自由」を放棄し、ファシズムへと傾斜します。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾の暗い「預言」。ウォルター・リップマンの「世論」の非合理性への着目。そしてオルテガ・イ・ガゼットの『大衆の反逆』における、自由を否定する大衆の登場などを一瞥しました。そしてエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』やマックス・ホルクハイマーの『権威主義的国家』を通じて、人々がせっかく手に入れた個人的な自由を半ば積極的に放棄して、ファシズムへと向かったのか、その理由を考えました。フロムの議論を要約すると、「近代社会は、前近代的な社会の絆から個人を解放して一応の安定を与えたが、同時に個人的自我の実現、すなわち個人の知的、感情的、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得できず、かえって不安をつくり上げた」と。

つまり、かなり乱暴なまとめをすると、17・18世紀のイギリス経験論が獲得した「自我」の自由を、19世紀のイギリス功利主義が半ば楽観的に展開したのに対して、20世紀前半の時期はせっかく手に入れたこの遺産を放棄してしまう様(さま)を概観してみました。 

しかし、今回の報告における、このような見方は非常に一面的ではあります。さらに20世紀後半から現代に至る、「自我」の自由をめぐる議論にまで触れることができませんでした。また、ファシズムへの傾斜を防ぐ処方箋についても結論は出ませんでした。駒場祭に向けた今後の課題でもあるでしょう。


次回も引き続き「安楽死問題」を取り上げます。奮っての参加を求めます。 

次回の学習会のお知らせです。

●日時:11月7日(水曜日)18時30分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テーマ:安楽死問題

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

<文責:飯島>

2012年10月26日金曜日

次回の学習会は10月30日(火曜日)です


現代社会研究会(現社研)の皆様、10月22日(月)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。

今回の学習会も、テーマが「安楽死問題」ということで、報告者はオーストラリアの哲学者ピーター・シンガーの著書『生と死の倫理  ――伝統的倫理の崩壊』の分析をおこないました。以下、その報告の模様を簡単に触れます。

この著書によると、われわれは伝統的死生観の崩壊により、「生命の神聖性」から「生命の質」への移行に直面しているとのことです。例えば、脳死・臓器移植に関しては、シンガーの主張することによれば、①まだ生きている(体温も通常で、心臓の拍動もある)状態の脳死の人から臓器を取り出す(すなわち、死に至らしめる)ことには心理的抵抗がある、②前述の状況への対応として、便宜的に「脳死=人の死」とすることで、死人から臓器を取り出すという妥協点に収束する、③そもそも「脳死=人の死」と定義する必要などない。生きている人間を殺す(臓器を取り出す)ことは必ずしも問題ではない(倫理革命によりそれが可能になる)、ということになります。 

「脳死・臓器移植」や「安楽死」や「妊娠中絶」さらに「自殺幇助」ですら積極的に容認するシンガーが唱える「倫理革命」とは何でしょうか? シンガー自身の言葉によれば、「人命がすべて神聖であるという伝統的な見解では、私たちが直面する一連の問題に対処できない。新しい世界観に立てば、斬新で有望な取り組み方が可能になるだろう」とのことです。この主張は、「脳死・臓器移植」や「出生前診断」や「延命治療」などをめぐる医療技術の格段の「進歩」という現実を踏まえて、生命倫理のほうをその現実に合わせるという論理展開をしています。つまり、帰結主義的であり、功利主義的といえるでしょう。 シンガーによれば、「積極的安楽死」も「消極的安楽死(尊厳死)」も「自殺」も結果は同じであり、そもそもこれらの区別は意味がなく、いずれも容認できるという立場になります。

功利主義的ともいえるシンガーの立場は、シンガー自身が語っていることですが、J.S.ミルの自由に関する議論や経験論者であるジョン・ロックの「人格」の定義にまでさかのぼることができるかもしれません。ミルは「文明社会の各成員に対して、たとえ本人の意思に反しても権力を行使しうる唯一の目的は、他の成員に対する危害を未然に防ぐことである。」と語り、「他の成員に対する危害」を加えない限り何をしてもよいという(自殺を含む)「愚行権」を容認する根拠とすることも可能です。さらに、ミル以前の哲学者であるロックは「人格」を「理性と反省能力とを持ち、時と所を異にしても自分を自分として、同じ思考をするものとしてみなすことのできる存在」であると定義しています。この上述のミルやロックの議論を踏まえつつ、シンガーは「人格だけが生き続けることを欲し、将来についての計画を有する。人間ではなく人格のみが生存権を有する。だから、人格を持たない人間は生存権を有さない。」などという主張を展開します。しかし、「動物のほうが人格のない人間の心よりもはるかに人間的だ」というシンガー主張は、たとえ論理展開がクリアーであっても、その主張するところは非常にトリッキーで深刻な問題を抱えています。 

シンガーに対しては様々な批判があるでしょう。当日の報告者はそのひとつに功利主義批判を取り上げました。すなわち、「功利主義においては結果における『結果』が重視されるが、他人に不幸をもたらすこと自体によって得られる効用もある。これらの効用をどのように扱うのか。」ということです。たとえば、脳死・臓器移植(脳死判定があいまいな場合)は、他人(ドナー)に不幸をもたらす(おそれがある)こと自体によって、自分(レシピエント)が効用(臓器の提供)を得る場合がある。この場合、いかに考えるべきかという批判です。

といいますか、そもそも医療技術の高度化にともない、それとまったく歩調を合わせるようにして倫理自体を書き換えることが可能だとするならば、もはや(生命)倫理は倫理として存在しえないような気が個人的にはします。これはもはや倫理の刷新というよりも倫理の放棄なのではないでしょうか。

障害者の人権を否定しかねない、優生思想にもつながるシンガーの主張(優生思想そのものかもしれませんが)は、しかし、著書『生と死の倫理』がオーストラリア出版協会賞を受賞していることからも明らかなように、受け入れられてしまっています。そのような議論を受け入れる素地がわれわれの社会の側にあるということには注意を払いたいところです。 

次回も引き続き「安楽死問題」を取り上げます。奮っての参加を求めます。

次回の学習会のお知らせです。 

●日時:10月30日(火曜日)18時30分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テーマ:安楽死問題
 

※次回の学習会は通常どおり18時30分開始となります。ご参加される方はご注意ください。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

<文責:飯島>

2012年10月20日土曜日

次回の学習会(10月22日)は開始時刻が変更となりました


次回の学習会のお知らせです。


●日時:10月22日(月曜日)19時40分〜

●場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室)

●テーマ:安楽死問題
 
※次回の学習会は開始時刻が変更となりました。前回の当ブログにてお知らせした18時30分ではなく、19時40分開始へと遅くなりました。ご参加される方はご注意ください(なお、学習会の場所とテーマについては変更ありません)。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
現社研では新入会員を募集しております。このホームページを見て関心を持った方など、現社研の学習会や読書会などの活動にご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に現社研の部室にお越しください。なお、現社研の部室の場所がわからない場合には現社研のホームページにある連絡先にメールしていただきますよう、お願いします。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

2012年10月15日月曜日

次回の学習会は10月19日(金曜日)です

 10月10日に催された現代社会研究会(現社研)の学習会に参加された会員の皆さん、お疲れ様でした。今回は他大学からの見学者があり、より充実した中味のある討論ができたのではないでしょうか。今回のテーマは「安楽死」でした。以下、当日の学習会の模様を簡単に触れます。

当日の報告では、「安楽死問題を考えるセミナー」と題する「架空」ディスカッションを作り上げることによって、「安楽死問題」を多方面から照らし出す試みがおこなわれました。ここで、「架空」ディスカッションとは、自由主義者・生命倫理学者・法学者・哲学者・財務官僚・歴史学者・若医者・老医者・論理学者・保守主義者・政治学者などなど、多彩な顔ぶれで構成され、各方面の立場から見た場合に「安楽死問題」がどのような論理的帰結となるのかを、あぶり出していくものでした。このような試みは興味深く、そして成功していたと、わたしは考えます。

そして、この報告を受けて、様々なことが議論されました。たとえば、現社研の今年の秋合宿でも議論となりましたが、安楽死と尊厳死の違いについても、あらためて取り上げられました。すなわち、安楽死(euthanasia)という言葉が、「不治」かつ「末期」で「耐え難い苦痛」を伴う疾患の患者の求めに応じ、医師などが積極的に患者を死に至らしめることを指しますが、他方で尊厳死という言葉が、消極的安楽死に近い意味で使用され、「人間としての尊厳」を守るために激痛の拒否、思考や判断を失っての人工生命維持装置の拒否といった「無意味な延命治療をしないで死に至る」というニュアンスを含んでいると考えられます。

しかしながら、「安楽死の定義はない」(保阪正康)と言われるように、安楽死と尊厳死との間に明確な線引きは難しいようです。そのことは、安楽死は問題だが、尊厳死ならば積極的に認めていこうという流れにも大きな影を落としているのではないでしょうか。周知のように、安楽死肯定論を展開していた太田典礼らが率いる日本安楽死協会は1978年(昭和53年)に日本尊厳死協会に改称しましたが、「death with dignity」の訳語として、プラスイメージを含む日本語である「尊厳()」という言葉を使うことが、事態を正確に言い当てているかどうか、議論もあるでしょう。それはまた、「尊厳死」というラベリングによって、個人の死生観が悪用されるなど、一人歩きをしていく危険性もあることを意味しています。暗に自殺の奨励となり、安楽死が安楽「殺」となるような事態を懸念するわけです。このような消極的安楽死の正当化の過程において、「患者の意思尊重」の名目のもとに、逆説的ですが、「当事者の不在」という問題が起きていないか、その検証が必要だという意見も出されました。
 
さらに当日は、この種の議論で必ず言及される、オランダの安楽死法の事例についても、合意形成に問題はなかったか、話し合われました。世界においても日本においても、はたして、ナチス・ドイツに象徴されるような、優生学的な思考が悪い意味で受け継がれてしまってはいないかとの疑念が出されました。その点に関連して、(人工妊娠)中絶の是非にまで議論は及びました。日本でも中絶をめぐる法律は、戦時中の「国民優生法(断種法)」(1940年施行)が戦後直後の「優生保護法」(1948年施行)に変わり、近年の「母体保護法」(1996年施行)へと至りましたが、この動きの背景には、「安楽死」問題と同様に、優生学的な思考があったのではないかとの疑念も出されました。出生前診断の技術精度の高度化とも絡み、「母親の自己決定権」はどこまで正当化できるのかという問題が発生しています(同時に中絶は父親である男性にとっても考えるべき問題であるでしょう)。その議論は「自己決定権」は「死」にまで適用できるのかどうか、という問題と結びついていると思います。悩ましい問題だけに今後も議論していきたいです。

「安楽死問題」は、現社研における今年の駒場祭の公開発表のテーマでもありますので、引き続き取り組んでいきましょう。

さて、次回日程(駒場祭に向けた学習会)のお知らせです。学習会のテーマは、前回の学習会に引き続き、「安楽死問題」です。先述のとおり、当サークルの駒場祭企画のテーマでもあります。駒場祭まで時間が迫ってきています。皆様の奮ってのご参加をよろしくお願いします。

【次回の学習会】

〇日時:10月19日(金曜日)18:30~

〇場所:キャンパスプラザB312(部室)

〇テーマ:安楽死問題

〇参加費:無料

 
なお、次々回の日程等も決まりましたので、あわせてお知らせいたします(以下は次回〔10月19日〕の日程ではありませんので、ご注意ください。)

【次々回の学習会】

〇日時:10月22日(月曜日)18:30〜

〇場所:キャンパスプラザB312

〇テーマ:安楽死問題

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 新入会員を募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【文責:飯島】

2012年10月6日土曜日

次回の学習会は10月10日(水曜日)です。

  9月25日から26日まで催された、一泊二日の現代社会研究会の秋合宿に参加された会員の皆さん、お疲れ様でした。今年の秋合宿は一泊二日の日程でしたが、会外の他大学の学生の方も今回参加してくれるなど、とても充実したものになったかと思います。

秋合宿の第一日目は「安楽死(そして尊厳死)」をテーマに、読書会(使用テキストは保阪正康著『安楽死と尊厳死 ――医療の中の生と死』講談社現代新書)と学習会(課題テキストを設けない自由形式の報告会)とを行いました。第二日目は「(日本の)貧困問題」をテーマに、読書会(使用テキストは阿部彩著『子どもの貧困 ――日本の不公平を考える』岩波新書)と学習会(課題テキストを設けない自由形式の報告会)とを行いました。

秋合宿の第一日目の「安楽死」をテーマとした学習会では、「死の自己決定権は認められるか?」というお題をもとに、参加者が「賛成・反対」の2チームにわかれて、ディベートを行いました。ディベートの結果は僅差で「賛成」チームが勝ちましたが、白熱したやり取りができたのは大きな収穫です。

誰でもいずれは死に直面します。あくまで本人の意思を尊重すべきとの意見に賛同する方も多いかと思いますが、医療の急激な進歩のなかで、意思の尊重をどこまで貫くことができるのか、難しい問題です。また、「本人の意思尊重」と並んで「苦痛からの解放」も大きな争点になるでしょう。さらに、「死」とは「心臓死」をもって判断すべきなのか、「脳死」をもって判断するべきなのか。「東洋的死生観」までもが絡むとされるだけに、十分な議論が尽くされているとは言い難いのが、日本の現状ではないでしょうか。

しかし、日本では2009年に臓器移植法改定によって脳死は一律に人の死とされるというように、法律上では決められてしまっています。その点からも、非自発的安楽死が強制的に、もしくは周りからのプレッシャーにより、高齢者や末期症状の患者に対して行なわれるのではないかとの懸念も報告者からなされました。
 
「安楽死・尊厳死」は、わが現代社会研究会における今年の駒場祭の公開発表のテーマでもありますので、引き続き取り組んでいきましょう。
 

なお、秋合宿第二日目の読書会と学習会は「(日本の)貧困問題」でしたが、その模様は、後日当ブログにて紹介いたします。

さて、次回日程(駒場祭に向けた学習会)のお知らせです。学習会のテーマは、秋合宿に続いて、「安楽死」です。先述のとおり、当サークルの駒場祭企画のテーマでもあります。駒場祭まで時間が迫ってきています。皆様の奮ってのご参加をよろしくお願いします。
 
〇日時:10月10日()18:30~
〇場所:キャンパスプラザB312(部室)
〇学習会のテーマ:安楽死について
〇参加費:無料

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 新入会員を募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【文責:飯島】