2015年5月31日日曜日

次回の学習会は6月9日(火曜日)です

 TOSMOSでは6月9日()に学習会をおこないます。テーマは「議院内閣制と三権分立」です。このテーマでTOSMOSの会員が報告を行います。見学自由・参加無料ですので、6月9日()にぜひ、お気軽にお越しください。なお、学習会の詳細は、以下の通りとなります。

日時:2015年6月9日(火曜日)19時00分~21時00分頃まで

場所:キャンパスプラザB312(部室)
※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_43_j.html

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

テーマ:「議院内閣制と三権分立」

報告者:TOSMOS会員

※報告者が資料を用意しますので、予備知識なしで参加していただいて大丈夫です。

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。参加費は無料です。

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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さて、5月26日のTOSMOSの読書会に参加の皆さん、お疲れ様でした。とくに報告者の方は詳細な報告をありがとうございました。
 
中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』をテキストに、読書会を前回の5月20日と今回の5月26日とで、2回に分けておこないました。
 
総じて言えば、日本社会の人間関係を「タテ社会」と位置づけ、西欧・中国・インドの「ヨコ社会」と対比させて、日本社会のとくに人間関係における特徴をあぶりだした本書から学ぶべき点は多々あるように思われます。日本社会に「タテ社会」がいかに日本社会の隅々まで浸透しているか。企業家から学術研究者に至るまで、その行動パターンについての個別具体的事例を多く挙げつつ展開する、著者の論調には頷かされる(あるいは、身につまされる)点も多かったです。「いかなる社会でも、その人々の社会生活が大きな支障を来さないように、一定の社会構造に支えられているものであ」り、「社会のあるところ必ず構造があ」り、その構造は抽出可能であるという、著者の学問的信念が本書において論理的一貫性をもちつつ親しみやすい事例を多用しながら開陳・展開されており、「日本論不朽の名著 読まれ続つづけて110万部突破!」という、帯宣伝文句に間違いはありません。その意味で、本書を取り上げた意義は大きいでしょう。

 本書の評価をめぐって、TOSMOSの読書会の場で様々な意見が出されました。たとえば、本書だけを読むかぎり、著者はインドのカースト間の連帯と西欧の階級的連帯とを同一視しているが、両者は質的にまったく異なるのであり、問題ではないかという意見が出されました。

 また、本書の前半で強調される、社会関係を形成する要因としての「場」と、本書の中心概念である「タテ社会」との関係がいまいち不明確ではないか、「資格」ではなく「場」を重視する社会が「タテ社会」を必ずしも形成するわけではないのではないか、という意見も出されました(合わせて言えば、「枠」と「場」との概念上の違いも不明確ではないでしょうか)。

さらに、「タテ社会」の“発生史”にも議論が及びました。著者は江戸時代から「タテ社会」があった日本の伝統とみなす分析をしていますが、明治以降の政府と農村との間で起きた激しい闘争などの社会変動を無視しているのではないか、というわけです。

 そして、著者は、日本のリーダーシップのあり様を精緻に摘出しながら、天皇(制)の問題にまったく触れていない(回避している)のはなぜか、という疑問も出されました。すなわち、「日本的リーダーは、どんなに能力があっても、他の社会のリーダーのように、自由に自己の集団成員を動かして、自己のプラン通りに、他の成員の強い意向をおさえてまでことを運ぶことはできない」(140ページ)という、本書が描く日本のリーダーの姿は、天皇制における、ある側面に肉薄しているように思われるだけに残念だ、という意見でした。

さらにまた、著者が日本社会を「単一社会」と規定している点に関して、植民地を放棄した後に形成された、極めて戦後的な、「島国日本」というイメージに(ある種無自覚に)依拠しているのではないかという意見も出されました。

ところで、本書が出版された一九六七年の日本は、高度経済成長がほぼ完了し、美濃部東京都知事が誕生した時期にありました。わたし(=飯島)は当時を知らない人間であり正確性を欠くことを恐れずに言えば、敗戦後の戦後日本の歩みが曲がり角に来ていたわけで、その時期に本書が出版された意味は大きかったと想像します。すなわち、敗戦後、戦後民主主義の旗のもと、西欧社会を手本にハード面での近代化に邁進してきた日本ですが、その「国是」がある程度達成されたうえで、そのことに対するある種の疑念が生じつつあるという、「時代」の曲がり角にあって、「人間関係」というソフト面での「異質性」に着目した本書は、その戦後民主主義に対して一石を投じる役割をはたすことになったのではないでしょうか。本書が多くの人に長く読み継がれていった理由もそこにあったように思われます。

このように、本書が展開する「タテ社会」に対する評価は微妙なものがありますが、逆に「『タテ社会』でよいではないか」と開き直り、「タテ社会」万歳を唱えたのが、八〇年代に席巻した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の議論だったようにも思われます。しかしながら、九〇年代の平成不況以降の「失われた二〇年」を経た日本社会は、著者が分析するような「タテ社会」ではたしてあり続けているのでしょうか。「タテ社会」の特徴である、年功序列制や終身雇用制が大きく崩れて、非正規雇用が労働者の雇用形態として「定着」しつつある現在、「タテ社会」の組織を成り立たせていた根本的な“保障”が機能しなくなっているのではないでしょうか。

「タテ社会」が、良し悪しを別にして、それなりに担ってきた「社会的な包摂」が文字通り麻痺・変容しつつある今、日本社会はどこに向かおうとしているのかを、本書を契機に考えていく必要がありそうです。

【文責:飯島】

 

2015年5月22日金曜日

次回の読書会は5月26日(火曜日)です

  TOSMOSでは、次回の5月26日(火曜日)にも引き続き「読書会」をおこないます。

「読書会」では、報告者がレジュメなどを作成して報告をおこない、その後でテキストの内容をめぐってみんなで議論します。

 次回のテキストは、前回と同様に、中根千枝著『タテ社会の人間関係――単一社会の理論』(講談社現代新書)を取り上げます。次回の読書会では、第2回目(526日開催)としては、第Ⅳ章から最後までを扱う予定です。

 参加にあたっては、テキストの指定範囲(今回は第Ⅳ章から最後まで)を事前に読んできて頂けると、より深い議論ができるので望ましいですが、テキストを読むことができなかった場合でも参加して頂いて大丈夫ですので、お気軽にご参加ください(できればテキストは、書店や図書館などで事前に入手して、ご持参頂けると幸いです)。

 皆さんのお越しをお待ちしております。

日時:2015年5月26日(火曜日)19時00分~21時00分頃まで

場所:キャンパスプラザB312(部室)
※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_43_j.html
事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

テキスト:中根千枝『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』(講談社現代新書)

テキストの範囲:章から最後まで

報告者:TOSMOS会員

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。参加費は無料です。

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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【文責:飯島】

 

2015年5月15日金曜日

次回の読書会は5月20日(水曜日)です

 TOSMOSでは、5月20日(水曜日)には下記のとおり「読書会」をおこないます。

「読書会」では、報告者が要約レジュメなどを作成して報告をおこない、その後でテキストの内容をめぐってみんなで議論します。

次回のテキストは中根千枝著『タテ社会の人間関係――単一社会の理論』(講談社現代新書)です。520(水曜日)におこないますので、ぜひお気軽にお越しください。また、読書会は2回に分けて開催します。第1回目(520日開催)は第1章から第Ⅲ章(94ページまで)を扱います。なお、第2回目(日程未定)は第Ⅳ章から最後までを扱う予定です。

「読書会」では、テキストの指定範囲(今回は第Ⅰ章から第Ⅲ章まで)を事前に読んできて頂けると、より深い議論ができるので望ましいですが、テキストを読むことができなかった場合でも参加して頂いて大丈夫ですので、お気軽にご参加ください(できればテキストは、書店や図書館などで事前に入手して、ご持参頂けると幸いです)。

皆さんのお越しをお待ちしております。

日時:2015年5月20日(水曜日)19時00分~21時00分頃まで

場所:キャンパスプラザB312(部室)

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。


事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

テキスト:中根千枝『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』(講談社現代新書)

報告者:TOSMOS会員

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。参加費は無料です。

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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さて、5月12日(火曜日)のTOSMOSの学習会に参加の皆さん、お疲れ様でした。とくに報告者の方は詳細な報告をありがとうございました。当日の学習会のタイトルは《フセイン政権の亡霊イスラム国――カリフ制国家僭称の背後にある不平スンニ派イラク人による擬制国家という本質》でしたが、いかがでしたでしょうか。最近でもマスメディアなどで大々的に取り上げられ話題となっている「イスラム国」ですが、その実態には謎が多く、決定的といえる見解はまだ示されていないのが実情ではないでしょうか。そうしたなか、報告者は、イラク・フセイン政権の元情報部関係者でイスラム国の元幹部ハジ・バクル(後に暗殺される)が残した資料(「バジ・バクルメモ」)をもとに、「イスラム国」の実情に迫りました。「イスラム国」の組織形成過程からシリア奪取へ至る戦略過程など、「イスラム国」の全体像を浮かび上がらせることができたのではないでしょうか(なお、報告者は「イスラム国」とは呼ばずに、アラブ人が使っている蔑称「ダーイシュ」を用いましたが、ここでは「イスラム国」で統一します)。

 ここでは、当日の報告の簡単なまとめを試みます。

【Ⅰ 「イスラム国」の急速な進撃の背後にあった戦略】

 まず、2014年から急激に勢力を拡大した「イスラム国」ですが、他のテロ組織ではありえなかったような「快進撃」はいかに可能だったのか、と問います。2011年にシリアが内戦状態となり、2012年に米軍がイラクから撤退したことで、勢力の空白地帯が生じました。その間隙をぬるかたちで、先述のハジ・バルクらは、シリアを前線基地にして、イラク西北部を支配下に置きました。これは、占領するかなり前の時期に、ハジ・バクルが、シリア国内でオフィスを設けて情報収集に務め、「イスラム国」がその後占領地とする地域にスパイを送り込んでいたことが功を奏したといえるのではないか、と報告者は見立てます。

彼が収集した情報は、①有力部族の列挙、②その部族の中の有力者の名前、③対象村落における反体制派部隊の名前と規模、④それら部族の指揮官と政治的志向の把握、⑤彼らを恐喝する際に口実となるシャリーア(イスラム法 イスラム教徒の宗教的・現世的生活を具体的に規制する法)に照らし合わせて違法な行為の把握、などとされています。

 この内容を見る限り、単なる暴発的なテロ集団とは異なり、旧フセイン政権の時代の統治方法を想起させると報告者は評します。単なる烏合の衆とは明確に異なることがわかるでしょう。

【Ⅱ 「イスラム国」のという呼称】

 そこで、「イスラム国」を現在自称している政治組織の特徴を浮かび上がらせるために、もうひとつのイスラム主義集団である「アルカイダ」との比較を試みます。アイルカイダは、米軍による中東介入を十字軍の侵略と規定し、米軍に対して戦闘をおこなうことをムスリムの義務だとし、多くの「聖戦士」をさまざまな戦場に送り込むという、ジハード主義を掲げるスタイルをとっていました。

他方、「イスラム国」はカリフを中心とした宗教国家を標榜しつつも、組織の内実を構成しているは旧フセイン政権の元幹部などの関係者であり、そのほとんどがアラブ民族主義を信奉していると思われます。自らのテロ行為を「仮想戦争」を表現したアルカイダと異なり、「イスラム国」は、シリアにおいては自由シリア軍およびクルド系武装勢力を具体的な敵と定めています。なにより、「イスラム国」の前身が「イラクとシリア(ジャーム)のイスラム国」であったように、アルカイダのように世界規模で活動するのでなく、ローカル(地域主義的)志向であり、「地に足のついた」活動をおこなっているのが特徴だといえるでしょう。

 さらに、報告者は「狂信的な信仰と冷静な戦略的計算という本来対立するあり方を組み合わせたこと」が「イスラム国」拡大の秘密のひとつだとします。いわば「戦略的過激主義」といえるでしょう。また、イスラム主義を標榜することで、旧フセイン政権支配層の利益追求という実態を覆い隠すことになっているようです。

【Ⅲ 中央集権的な組織構造】

 「イスラム国」は、組織分散的なアルカイダ系組織とは異なり、中央集権的支配を特徴としています。すなわち、「イスラム国」の意思決定はカリフであるバクダディが政策決定をし、シューラという有力者の評議会がその決定を諮るという形式をとっているとされています。

報告では、先述のハジ・バクルが残した指揮系統のドラフト図を参照しながら、組織がそれなりに精緻に設計されているばかりか、各評議会員を監視する情報部も考慮にいれていた点などを確認しました。

 さらに、「イスラム国」が世界に点在する小国家よりも広域地帯をそれなりに掌握できている行政組織のあり方にも目を向けました。すなわち、支配地域の住民からの税の取り立てや石油関連施設の運営などによる資金獲得方式のあり方に注目します。この点は、多くのテロ組織が場当たり的な収奪やサウジなどのテロ支援国家からの支援に頼っているのとは対照的です。このような支配体制が継続的に可能となっているのは、「イスラム国」がいまだ残存する部族社会に介入し、シェイフ(部族長)を懐柔しているからだと考えられます。報告者はこれを「パトロン-クライアント関係」とします。このことから、旧フセイン政権時代の支配形態を学習していたことが推測できます。「イスラム国」は、石油収益の一部を部族長とその周辺に分配することで自分たちへの協力を取り付ける一方で、自分たちに反抗的な部族には懲罰として襲撃するという、「アメとムチ」を巧妙に使い分ける戦略をとっています。

【Ⅳ 幹部層の構成員】

 「イスラム国」が多様な人材で構成されていることに対しては、報告者は「キャンプ・ブッカ」という刑務所の存在が大きいと指摘します。すなわち、この刑務所が結果的にテロリスト同士に顔合わせの機会を提供し、「イスラム国」の母体になるテロ組織が結成されていたということです。しかし、アメリカは多くの「危険人物」を抱えた刑務所を、米国はイラク新政府に管理の引き継ぎをおこなうことなく、彼らを野に放つという、非常に問題ある対処をします。

 さらに、「カリフ」となったバクダティについては、「イスラム国」に「宗教的な装い」を与えるために祭り上げられた、操り人形的要素が強く、彼自身が実質的な権力を握っているかどうかは疑問があると、報告者は分析します。

【Ⅴ 強固な財政基盤】

 メディア等では「イスラム国」の財政基盤は石油にあるされ、米軍を中心とする有志連合は石油関連施設を空爆で破壊しています。しかし、報告者は一連の空爆による効果に疑問を投げかけています。なぜなら、油田がひとつ使用不可能なったら、新税をもうひとつつくれば問題はないからです。すなわち、「イスラム国」の資金源は、支配地域の住民からの徴税、周辺国との石油などの密輸入そして「イスラム国」運営のローカルビジネス(たとえば、インターネットカフェの提供)から構成されており、その自活的な財政と複合的で柔軟な資金源が、米国などの空爆の効果を大きく減じているといえるでしょう。

【Ⅵ パンドラの箱を開けた米国】

 そして、「イスラム国」の興隆の要因として、米国のイラク戦争における戦略上ミスがあると報告者は指摘します。太平洋戦争後の日本占領統治の場合と異なり、イラクには強固な部族主義が残存し、この構造を克服しないうちに、米国はフセイン政権のみを破壊したため、「一気に分裂的傾向が優位になった」とします。

報告者は、米国はイラク復興に対して責任ある行動をとらなかったと指摘します。つまり、米国企業への利益誘導に腐心し、現地住民のインフラ事業は放置され、外国企業主導の事業は現地の雇用を生み出さず、失業による社会不安を高めることになります。政治的社会的混乱のひとつに、米国の稚拙な中東政策にあるといえます。

 さらに、フセイン政権時代の政権・軍上層部が不満を持ったまま下野し、かつ実際に地方行政に携わってきたバース党員やイラク軍の下士官・兵士がなんの保障もなく公職追放を受けたことに、米国の重大な過誤がありました。

【Ⅶ 「イスラム国」の今後】

 最後に、「イスラム国」の今後を考えました。報告者は「イスラム国」は「もしかしたら一時はサイクス・ピコ協定の軛(くびき)から脱し、かつシーア派の脅威から自由なスンニ派アラブ国家を建設すると本気で考えていたかもしれない。」としながらも、現実世界に及ぼす影響を過大評価はできないとします。すなわち、欧米諸国はもちろん、アラブ・ムスリム諸国も公式に「イスラム国」を承認することはありえず、その支持は欧米諸国の一部のムスリム移民やムスリム諸国の一部の不平層に顕著に見られるだけであり、これ以上の領土拡大には難しいだろうとします。

それでも、「周辺国と欧米諸国との力関係・利害関係の間隙にあって、シリア北部とイラク西北部に居座り続けることであろう」し、「しばらくはシリア・イラク人に苦悩の日々をもたらす」であろうともいえます。「イスラム国」の存在自体がシリアのアサド政権の存続を助け、シリア内戦を「より解決不能な状態」にする一方で、イラクでは宗派対立の克服を困難にし、近代国家確立を不可能にさせているのです。その意味で、「イスラム国」をめぐる情勢に明るい展望を見出すことが難しいと、報告者は述べて、報告を終えました。

 以上、かなり乱暴ですが、今回の学習会の報告のまとめを試みました。われわれは「イスラム国」と聞くと、宗教・宗派対立の側面にばかりに目が行きがちですが、宗教問題など人間の意識のあり様は経済的・政治的事情によって大きく規定されています。今回の報告は、いわばその下部構造に目をむけ、その構造の解析にあえて限定して論じたところに、特色があるのではないでしょうか。
 
 日本政府は昨年の集団的自衛権容認の閣議以降、米軍と共同行動をより広い範囲で行動できるように施策を進めているだけに、「イスラム国」はどこか遠くの話とはならなくなっています。また、今年の日本人人質殺害事件以降、わたしたちの「イスラム国」など中東情勢についての関心は高まっています。それだけに、どのような視点からこの複雑で理解が難しい中東情勢に切り込んでいったらよいのか、難しいところではないでしょうか。それだけに、わたし(飯島)は、今回の報告は非常に有意義なものだと思われました。
 
 引き続き、「イスラム国」の動向に注視していきましょう。

【文責:飯島】

2015年5月5日火曜日

次回の学習会は5月12日(火曜日)です


 新入生の皆さんは、4月も終わって、大学生活にもだいぶ慣れてきた頃だと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。「学生時代も社会について考える機会を持ち続けたい」という方や、「大学生活には慣れてきたけど、なにか物足りない」という皆さん。ぜひ一度、TOSMOSの学習会に来てみませんか?

5月12日()の学習会では、下記の通り、「イスラム国」をテーマにTOSMOSの会員が報告を行います。見学自由・参加無料ですので、12日()はぜひ、お気軽にお越しください。なお、5月12日()の学習会の詳細は、以下の通りとなります。

日時:2015年5月12日(火曜日)19時00分~21時00分頃まで

場所:キャンパスプラザB312(部室)
※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_43_j.html
事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

テーマ:「バースの残党から考えるイスラム国」

報告者:TOSMOS会員

報告者による内容紹介
最近メディアに話題を提供することに事欠かないイスラム国ですが、その実態には謎が多く決定的といえる見解はまだ与えられていません。そこで最近発表された亡き幹部が残したメモを手掛かりに、アメリカの失策というイスラム国興隆の原因、それを育んだ中東の風土も含めてイスラム国の真の姿を読み解いていきます。

※報告者が資料を用意しますので、予備知識なしで参加していただいて大丈夫です。

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。参加費は無料です。

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、4月28日(火曜日)のTOSMOSの学習会に参加の皆さん、お疲れ様でした。とくに報告者の方は詳細な報告をありがとうございました。当日の学習会のテーマは《「残業代ゼロ法案」と「派遣法改正案」を読み解く》でしたが、いかがでしたでしょうか。当日の報告では、対象となる法律の条文にも適宜目を通しながら、両法案の内容・趣旨・経緯などを確認しました。ここでは、当日の報告の簡単なまとめを試みます。

 【Ⅰ 「残業代ゼロ法案」について】

 まず、当日の報告では、今年4月3日に提出された「残業代ゼロ法案」の位置づけを知るために、この法案の具体的内容の検討に入るまえに、労働時間規制をめぐる歴史や理念について確認をおこないました。

 まず、そもそもここでいう「残業」とは、法律の定める原則的時間枠を超える労働(時間外労働)のことを意味します。そのため、労働時間に対する規制が問題となります。個人間の契約においては、近代市民法における「契約自由の原則」があり、個人間の契約関係に国家が干渉してはならないとされています。しかし、労働契約については、労働者と使用者の間では、一般に労働者のほうが不利な立場にあるため、「契約自由の原則」の修正として、例外的に労働者保護が必要となります。すなわち、各種の労働者保護法の必要性が生じるわけです。

 そこで、当日の報告では、工場法成立(1833年)からの、イギリスと日本の労働時間に対する規制の歴史を概観しつつ、資本主義国家が資本自身を規制する労働者保護法を生み出し発展させていった経緯を確認しました。なお、労働者保護法が生まれた原因をめぐっては、日本で1950年頃に、「総資本の理性」の働きを強調する大河内一男と、労働者自身による労働運動の役割を強調する岸本栄太郎との間で論争がおこなわれました。その論争に触れつつ、「労働運動の盛り上がりが総資本の理性を喚起するという形で両者が結合していったのだ」(西谷敏)との指摘の意味を確認しました。

 日本の現行の労働時間に関するルールは、労働基準法32条によって定められています。すなわち、「1、使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない」「2、使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。」です。しかし、32条で定められた法定労働時間を超えて労働者を働かせる場合の対応を定めた労働基準法36条(36協定)が、過労死をもたらすほどの長時間労働の原因となっているという批判が出されています。

 このように、労働者と使用者間の契約として、主に労働者保護をめざして成立・展開してきた日本の労働法ですが、近年、「労働者保護」の理念から逸脱・反転する動きが生じています。すなわち、「残業代ゼロ法案」の国会への提出です。

 そもそも、アメリカで1938年に制定されたいわゆる「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」(以下、WE制度)を日本に導入しようとする動きが始まったのは、2004年の小泉内閣時のことです。この法案は、事務労働者の労働時間規制の適用除外を定めたものと言えるでしょう。日本経団連や厚生労働省などが主体となって導入を目指したにもかかわらず、労働者側などからの批判に晒され、第一次安倍内閣下で頓挫しました。しかし、民主党政権下で途絶えていたWE制度の導入の動きが、第二次安倍内閣のもとで活発化することとなります。そして、冒頭で触れたように、2015年4月3日、「残業代ゼロ制度」を含む労働基準法の改正提案を閣議決定し、国会に提出される事態となりました。

 では、この法案の中味に入っていきます。政府側は、今回は「WE制度」ではなく、「高度プロフェッショナル制度」と命名しています。これは、労働基準法に「41条の2」を新設するかたちをとっています。法律の対象は二つです。すなわち、①特定高度専門業務に従事する者、②平均賃金額の3倍を相当程度上回る水準の賃金額以上の者(政府は、年収1、075万円以上を想定)です。

 この法律に対しては様々な批判がなされています。手続的な規則をめぐる批判は次のとおりです。①使用者および労働者の代表者が構成員となっている労使委員会の決議が求められていますが、それが形骸化している点、②「本人の同意」についても、実際に職場で、使用者の求めに対して、立場の弱い労働者が断ることができるのか、疑問である点です。

 さらに、適用対象をめぐる批判は次のとおりです。①労働基準法における一切の労働時間規制の対象外となる、②「働き過ぎ防止策」として「年104日以上の休日」を定めていますが、「週休2日」(52週×2日)という最低限の規制に過ぎず、現状とほとんど変わらない、③企業にとって人件費の「節約」になる、などです。

【Ⅱ 「派遣法改正案」について】

 「派遣法改正案」については、当日の報告で、まず「労働者派遣」の仕組みと問題点を確認しました。すなわち、「派遣」とは、自己を雇用する労働者を、当該雇用関係の下に、かつ、他人の指揮命令を受けて、当該他人のために労働に従事させることです(派遣法2条1項)。しかし、「雇用」と「使用」が分離しているために、責任の所在が不明確になりやすいという問題点があります。

 労働者派遣法が登場した趣旨とは、戦前に広く存在していた、労働者供給事業でピンハネ等をおこなっていた労働ブローカーを「追放」することにありました。すなわち、1947年に「労働の民主化」を掲げるGHQの政策を反映して、労働者供給事業の禁止を含む「職業安定法」が制定・施行されます。しかし、その後、政府・労働省は、労働者供給事業とは認定されない「請負事業」の範囲を拡大し、人材派遣業が増加の一途となります。メルクマールとなるのが、1985年の労働者派遣法の制定です。この法律は、高度経済成長を経て、人材派遣業が急成長するなか、人件費の削減を望む財界などの後押しを受けて、成立することとなります。

 そもそも、雇用形態の原則として、「直接雇用の原則」が存在します。すなわち、労働力を利用しようとする者はそれを提供する者を直接雇用すべきであり、営利を目的とする第三者の介在を認めないとする原則(職業安定法44条)です。この原則に立つならば、派遣労働はあくまで「例外」として認められる過ぎないものなのです。

 しかし、派遣労働の対象業務の拡大の流れは、「小さく産んで、大きく育てる」とも言うべきものでした。先述の1985年制定の派遣法では、専門的業務など「13業種」に限定して派遣労働を認めるものでした。それが86年には「16業務」に、96年には「26業務」に拡大し、99年には原則自由化(ネガティブリスト化)し、03年には「製造業」についても解禁されます。まさに、原則と例外がひっくり返ったのです。

 特に99年の「ポジティブリスト」から「ネガティブリスト」への変更は、派遣法の「画期」をなすものでした。すなわち、派遣労働が認められる業務として、専門的業務などの26業務に限り認めるとした「ポジティブリスト」から、港湾運送業務、建設業務、警備業務、医療関係業務などを除いて、派遣業務が許されるとされる「ネガティブリスト」へと変更がなされ、原則自由化となりました。

 さらに、派遣可能期間も拡大の一途をたどります。すなわち「直接雇用の原則」の立場から、常用雇用の代替防止が図られてきましたが、99年には「26業務」については、上限3年、その他の業務(ネガティブリスト化で新たに認められた業務)は、上限1年に改正されました。さらに、03年には「26業務」については、上限を撤廃し、その他の業務については、上限を3年に延長されました。

 このような派遣労働の拡大の動きに一時的にせよ歯止めとなったのが、08年のリーマンショックのなかで「派遣切り」が社会問題化(派遣村など)したことが挙げられます。そうした情勢のもと、民主党政権下で、日雇い派遣の原則禁止を柱とする、派遣法改正案が成立・施行します。しかし、ここでも、自民党・公明党との修正協議の過程で、当初の政府案で盛り込まれていた「登録型派遣の原則禁止」「製造業派遣の原則禁止」は削られてしまいます。

 そして、民主党政権から自民党政権へと政権交代し、現在の国会に派遣法改正案が提出されます。その主な内容は、①すべての派遣会社を許可制に、②業務ごと(「26業務」とその他)の期間制限を撤廃し、「働き手ごとに3年」と改める(すなはち、人を替えれば、どの業務でも無制限に派遣労働者の使用が可能)、③派遣会社に対して、「3年の期限」を迎えた働き手へ「次の働き口」を用意することを義務づける(ただし、「次の働き口」は「他の派遣先」でもよい)などです。

 このような派遣法改正が急がれる理由として、直接雇用を促す「労働契約申込みみなし制度」(15年10月1日施行)による、いわゆる「10・1」問題があるとも言われています。だから、政府・自民党は今年10月1日までにはなんとか改正させようと躍起になっていると考えられます。

 以上、かなり長くなりましたが、当日の報告のまとめを試みました。マスメディア等で(単発に)報道されている「残業代ゼロ法案」と「派遣法改正案」が、わたしたちの生活にどのような影響を与えるのか。それを実感するのはなかなか難しい、というのが率直な感想ではないでしょうか。しかし、今回の学習会を通じて、わたしたちの働き方が劇的に変貌すること(雇用の劣化!)を多少なりとも実感することができたのではないでしょうか。

 先述の、大河内一男が主張するような「総資本の理性」は現代の日本社会で機能しているのでしょうか? わたし(飯島)は、むしろ、次第に小さくなっていくパイをいかに大きく分捕るかという、一種の「チキンレース」の様相を帯びた、資本の不断の「意志」のようなものを垣間見ます。百歩譲って、使用者側である企業などの(個別)資本は利潤最大化(ここでは人件費の徹底的な削減など)を目指して邁進するのは、資本の存在理由からして仕方がないとしましょう。しかし、資本・財界とは異なる部門である政府には、家計・労働部門が資本によって喰いものにされることから守る役割が期待されています。しかし、いまの日本政府・自民党やマスメディアは、資本によって“ハイジャック”されているようにも見えます。少なくとも、政府首脳のアタマの中からは、労働者保護の観点が消え去ってしまっているのではないかと言えば、言い過ぎでしょうか。

   「社会なんてものはない。個人としての男がいて、個人としての女がいて、家族がある。ただそれだけだ。」と語ったのは、イギリスの首相(当時)で、安倍首相が信奉しているという、新自由主義者のマーガレット・サッチャーです。しかし、わたし(飯島)は個人や家族が存立しえるのも、「社会」がそれらを包摂(保護)してくれているからだと思います。単に「国内消費市場」が縮小する(労働者が安心して商品を消費できなくなる)からというのではなく、労働者が人間らしく生活し労働するために、そして人類が「類的存在」として再生産(存続)できるために、資本よりも社会的に政治的に弱い立場ある労働者の権利を保護することこそが求められているように、わたし(飯島)には思われます。皆さんはどのように考えますか

 【文責:飯島】