2013年10月26日土曜日

次回の学習会は10月30日(水曜日)18時30分からです。


1023日開催の学習会(「望ましい歴史教育の在り方とは〜歴史教科書問題を通じて〜」)に参加された皆さん、お疲れ様でした。とくに、報告者の方、素晴らしい報告をありがとうございました。大変勉強になりました。

次回以降も、駒場祭にむけて、教育をテーマに学習会を続けていきます。次回は下記のとおりです。

〇日時:10月30日()18:30~

〇場所:キャンパスプラザB312(部室)

〇学習会のテーマ:教育について

〇参加費:無料

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 新入会員を募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。
 次回(10月30日)は発表形式をとりますので、文献を事前に読んでくる必要もなく、予備知識なしでも大丈夫です。

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さて、1023日に実施された学習会の内容について軽く触れたいと思います(間違いなどありましたら、次回の学習会で教えてください)。「望ましい歴史教育の在り方とは〜歴史教科書問題を通じて〜」と題した報告がなされました。報告者は、「もし自分が歴史教科書をつくる(歴史教育を行う)としたら、どうするのか」という問題意識のもとに、現行の歴史教育・歴史教科書の有り様・課題を浮き彫りにしていくという内容でした。さらに言えば、議論の出発点として、ふたつのアプローチを報告者は提示します。すなわち、歴史教育の最終目標として、「歴史を学ぶことで『現代』を理解し、ひいては『将来』への幅広い視野を涵養する」(アプローチA)と、「自国の歴史や伝統・文化を学ぶことで、愛国心を養い、自国を誇り愛する国民を作り出す」(アプローチB)という、二つのアプローチの峻別です。報告者はこのふたつのアプローチを考量しつつ、アプローチAをより望ましいものとして選択したうえで、上記の歴史教育の最終目的を達成するために、歴史教科書のより望ましい在り方に必須な四つの要素を提示します。すなわち、

①近代史に重点を置いた構成、

②世界史の中の日本史という視点、

③論争の多い事実であっても、その事実が「現代」を理解するために重要・必要不可欠なものであれば、必ず記載、

④その際に、論争のある事実を記載するときには、論争の存在を併記(特定の立場に依存するべきではない)、

  以上です。

 報告者にとって歴史教育の最大の目標は「現代を理解すること」にあります。そのため、近現代史が古代史や中世史などと比較してはるかに重要性が増します。また、現代社会は地球規模でのボーダレス化(世界の一体化)が加速している以上、一国内に閉塞する歴史教育は存立しえません。それが「世界史の中の日本史という視点」が欠かせない理由です(報告者の提案は、ウォーラーステインの世界システム論とも共振する側面があるのかもしれません)。

 さらに、そのような「世界史的視点」を習得させるために、歴史教育では「日本の歴史的行為について客観的に評価する基準」を学習者に提供する必要があると、報告者は指摘します。「世界史的視点」を準拠点としつつ、日本の近現代史を再構成する作業ができることが目標となります。具体的にいえば、「日本の侵略行為をどう評価するべきか?」という思考判断を学習者ができるような歴史的素養(視点)を身につけることです。日本の帝国主義を理解するためには、欧米列強の帝国主義の席巻とそれに対抗するかたちで第一次大戦後に登場した民族自決の流れ、そしてファシズムの成立など、世界史的な動向に目を向ける必要があります。要するに、日本の帝国主義の動向を同時代の世界史的動向のなかに位置づけることで、日本の帝国主義の特徴をより的確に把握することが可能となるわけです。

 しかし、現行の日本の歴史教育の現場では、古代・中世史により重点が置かれることの必然として近現代史の教育がより疎かになるという弊害が生じます。さらに、中学(高校)の中等教育が「日本史」というかたちで日本国内だけの歴史教育に閉塞してしまっているため、結果として「戦前の日本は絶対的な悪で、イギリス・アメリカは絶対的な正義」という、歴史的事実とは異なる見解を身につく可能性がある、というわけです。近現代の世界史的知識の習得が望まれる所以です。

 たとえば、対華21か条要求も、イギリスのエジプト保護国化と同様の、帝国主義の一内容であるという把握の仕方、あるいは、3・1独立運動も第一次世界大戦後の民族自決の現れであるという理解の仕方が、現行の歴史教育では疎かになっているというわけです。

 ①②の要素についての説明は以上です。さらに、報告者は上記③④の要素も重視します。すなわち、歴史学において論争となっている「事実」についても、論争になっている点を明記しつつ、教科書に記載されるべきだ、というわけです。たとえば、731部隊、従軍慰安婦、南京事件などです。現代社会を理解するための手掛かりとなるのは、「客観的な史実」であって、特定の主観的な主義主張では決してないのだからです。

 今回の報告者の主張の特徴として、「歴史教育は歴史的事実の列挙にできるだけ力を注ぐべきであり、特定の主観的な主義主張をできるだけ排する」という点があると思われます。その意味で、「愛国心」を修得することや「自国を誇り愛する国民」を創出することをめざす「歴史教育」(アプローチB)は、社会科学の一分野である歴史学の本来的役割からの大きな逸脱であるばかりか、「愛国心」云々は歴史学とは本来何の関係もない概念であり、そのような概念を歴史教育の現場に持ち込むことは無用な混乱を招くだけでしょう。だから、藤岡信勝東大教授が唱える「自由主義史観」に基づくとされる「つくる会系教科書」は、歴史教育に主観を持ち込むものだとされ、史実は愛国心涵養の手段へと落ち込むため、史実の客観性への追究が疎かになるなど、特定の価値観を学習者に押し付けることになり、報告者にとって批判の対象となります。

 以上、報告者の報告をごくごく簡単にまとめてみました。その他、教科書検定が近現代を狙い撃ちしている問題点など多岐にわたり報告者は論じましたが、スペースの都合上、割愛します。

 さて、このブログの執筆者である私(飯島)は、報告者の見解に約九割は賛同します。「世界史のなかの日本史」という視点の涵養には多いに賛成です。ただ、報告のなかで報告者が、「つくる会系教科書」を支持する人間がしばしば用いる「自虐史観」という用語をある意味無批判に採用してしまっているのではないか、その点に違和感を覚えました。なにをもって「自虐史観」と言えるのかがわかりませんでした(なんとなく感覚としては理解できますが)。たとえば、満州事変から帝国・日本の敗戦までのアジア太平洋15年戦争で日本の犯罪行為を事細かに教えた場合、それは「自虐史観」に傾斜しているとなるでしょうか。それだけをもって、学習者が、世界は「善」の戦勝国と「悪」の敗戦国に二分され、日本は絶対的な「悪」の側に属する以上、日本は「何よりだめな日本」と「自虐」的に受け止めてしまう、とはどうしても私には思えないのです(むしろ、私などは、徹底的に「自虐」に落ち込む経験を積む作業を一生のうち一度は経験しておけ! と個人的には言いたくなりますが〔エラそーなこと書きました 笑〕)。そもそも、歴史教育も科学としての歴史学の一員であり、歴史的事象に「自虐」云々は関係がないのです。

 また、細かい点にこだわり過ぎかもしれまんせんが、「歴史教育は歴史的事実の列挙にできるだけ力を注ぐべき」という点に私は半分賛成・半分反対です。史実の列挙という作業自体がある一定の価値観なくしては不可能だからです。まったく没価値的な相対主義に陥ることも好ましくないでしょうし、それはありえないと私は考えます。だから、価値観といかに向き合うのか。やっかいな問題ですが、避けては通れない問題だと思います。

 では価値判断の基準をどこに求めるのか、という問題が生じます。その点に関連して、報告者は歴史教育のなかで「現代」の理解を強調していますが、その「現代」を構成する重要な要素のひとつとして、日本国憲法の精神を私は取り上げたいと思います。報告者も賛同してくれると思いますが、この憲法はアジアで2000万人、日本で310万人の非業、無念の死(もちろん、欧米諸国にもあまりにも多くの戦死者を生み出したわけですが)のなかから生まれたのであり、日本国憲法の根本原理である、平和主義・国民主権・基本的人権・国際協調主義などは、ある日突然日本国内に生まれたのではなく、悠久なる人類の歴史のなかから積み上げられてきた結晶体であり、世界史的レベルでの関連性が持つ原理であることは論を俟たないでしょう。「歴史をなぜ教えるのか」という理由は様々でしょうが、そのなかのひとつの(あるいは最高の)目的は、これらの原理の(世界史的な範疇としての)成立史を教えることにあるのではないでしょうか。その場合、これらの原理の背景となる価値観を自然と「押し付ける」ことなることは避けられないように思われます。平和教育の一方的な押し付けは避けねばなりませんが、かといって、それらの価値観を教える作業を「自虐」だとして放棄してしまうのも、考えものだと言えます(「自虐史観」と糾弾する人は、日本国憲法の傘の下でかろうじて他者を「自虐」だと攻撃できている存在に過ぎないのではないかと思われます)。だから、「憲法愛国主義」と批判されるかもしれませんが、「歴史教育でおこなうべきこととは何か?」と問われれば、日本国憲法の原理を教えることだとあえて私は答えたいです。

 ところで、「(社会)科学としての歴史学」だと私が先述したことに関連して、ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの言葉を取りあげたいと思います。ウェーバーの言いたいことを私は全部精確に理解しているわけではなく、誤解もあるかと思いますが、歴史学と価値観との関係を考えるうえで参考になればと思い、引用します。

 「われわれの行為を規定し、われわれの生活に意味と意義とを与える、あの「人格」内奥の要素、すなわち最高かつ究極の価値判断が、まさにそれゆえ、われわれにとってなにか「客観的に」価値あるものと感得される、ということも確かである。じっさい、われわれが、そうした最高かつ究極の価値判断を主張できるのも、もっぱらそれが、われわれにとって妥当するもの、われわれの最高の生活価値から流れてくるもの、として現れ、そのようにして生活上の数々の抵抗と闘うなかで展開されるからこそ、である。」(『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』岩波文庫版pp3637より)

 「価値自由」を追究したウェーバーですが、同時に没価値にも警鐘を鳴らしていたことにも目を配る必要がありそうです。報告者が報告したとおり、愛国心や「皇国史観」など特定のイデオロギーを教育現場に持ち込むことは避けねばなりません。愛国心の涵養云々は個人の勝手であり、歴史教育には関係がありません(あえて誤解を怖れずに言えば、愛国心は個々人の内面世界の聖なる領域から発せられる情念のひとつであって、自由主義史観派が主張するような、歴史教育でその情念を改変・操作できると考えることぐらい、愛国心を侮辱した話はありません。と同時に、歴史教育をも彼らのいう「愛国心」の増長のための道具として扱っている点で、歴史教育をも馬鹿にしていることにはならないでしょうか)。しかし、繰り返しになりますが、かといって、史実の列挙にのみに没頭するのも、どの史実を教えるかという選択自体がある一定の価値観なくしては不可能であることを鑑みて、あまり望ましい態度とはいえません。そこで、私は、先述の日本国憲法の普遍的(それは「世界史的」と言い換えてもよいかもしれませんが)原理に立脚した歴史教育にこそ価値判断の隘路から抜け出す術(すべ)を求めることが、「よりましである」という意味でも望ましいと考えます。

 最後に、参考として、20世紀前半期のロシアの教育家クループスカヤが児童に歴史を教える理由を述べた箇所を引用して、本稿を締めくくりたいと思います。ちなみに、私はクループスカヤの以下の説明にほぼ完全に同意します。

 「君は新しい生活を築きたいと思っているね。そのためには、昔、人びとがどのように自分の生活を築いたか、その人びとのあいだにどのような、そして何のための闘いが行われたかを君は知る必要がある。そして、君は歴史を学ぶことによって何をしてはならないかを知るようになり、その結果、何をしなければならないかが、もっともよく分かるようになるだろう。」(『青少年の教育』より)
 
 
 長々と乱文を書きましたが、最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

【文責:飯島】


2013年10月18日金曜日

次回の学習会は10月22日(火曜日)です。


次回の学習会は下記のとおり開催します。駒場祭にむけて、教育をテーマに学習会を続けていきますのでよろしくお願いします。

〇日時:10月22日(火曜日)18:30~

〇場所:キャンパスプラザB312(部室)

〇学習会のテーマ:教育について

〇参加費:無料

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【文責:飯島】

2013年10月13日日曜日

【中止】10月16日の学習会は中止となりました


109日(水)開催の学習会(ソ連における青少年の教育――クループスカヤの場合)に参加された皆さん、お疲れ様でした。

次回以降も、駒場祭にむけて、教育をテーマに学習会を続けていきます。次回は下記のとおりです。

※下記の学習会(10/16)は、都合により中止となりました。ご了承ください。

〇日時:10月16日(水曜日)18:30~

〇場所:キャンパスプラザB312(部室)

〇学習会のテーマ:教育について(大学関連)

〇参加費:無料

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 新入会員を募集しています。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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【文責:飯島】

2013年10月7日月曜日

次回の現社研の学習会は10月9日(水)です

現社研の秋合宿について
 (次回の現社研の学習会の詳細はこの文章の末尾に明記しました)

 現社研は、9月23日と24日の日程で一泊二日の秋合宿を、埼玉県立加須元気プラザでおこないました。秋合宿に参加された皆さん、お疲れ様でした。

 秋合宿では、現社研の駒場祭企画である「教育」をテーマに学習会・討論をおこないました。

秋合宿の第一日目で、報告①「戦後の教育制度を概観する」と報告②「親や家庭環境が教育成果に及ぼす影響」のふたつの学習会をおこないました。

報告①では、まず日本の戦後の教育制度の主な変遷(1945年から2010年代)を辿りました。そして「教育を受ける権利」をめぐる法的論点を整理しました。つまり、「教育を受ける権利」をめぐる法的論点と判決について学習しました。わたしは、教育権の所在の項で「国家教育権説」「国民教育権説」との拮抗が興味深かったです。前者は、学校教育の内容の決定権は国家にあるもので、その根拠を議会制民主主義に求める。後者は、国家機関の決定権を原則的に否定し、親とその信託を受けた教師を中心とする国民全体にあるとするとのことです。

判決については、旭川学力テスト事件最高裁判決(1976年)、伝習館高校事件最高裁判決(1990年)、第一次教科書検定訴訟判決(1993年)などが紹介されました。

報告②では、まず「学力」とはなにか?その定義づけをおこないました。そして、教育の質を効果的に高めるために、心理学の知見を参照しつつ、家庭環境の影響が欠かせないとします。つまり、家庭内の親と子との対話にもとづく信頼関係の構築がその後の学習を効率よく進めるキーになるわけです。「〔親は〕子どもの言葉を繰り返すことで、きちんと聞いて貰えているという安心感を与え、まだ結論を強要しないことにより、子どもを一個の人格として認め、勉強は自分の意志によるものだと思わせること」を提案します。

最後に、貧困の再生産の問題に言及しました。すなわち、貧困家庭は時間的・経済的・能力的な弱者であるため、子どもに満足な教育をすることができない⇒その子どもは低学歴になる⇒その子どもが生んだ子どもがまた貧困で低学歴になる、という悪循環です。

だから、報告者は次のように結論づけます。「子どもの学力は、家庭要因に大きく左右される。しかし、『子どもは親を選べない』、ゆえに社会全体の人材育成のためには、学校教育の全般的な充実だけでなく、経済的・社会的に不利な家庭で育てられている子どもたちに対する直接的な支援策が必要。」となり、より具体的には「家庭環境の改善」がなされるべきだとの提言をおこないました

合宿の二日目では、参加者みんなで教育をめぐるディスカッションをおこないました。お題は「いじめ・体罰・ゆとり教育」でした。この模様は、後日活字化して、駒場祭当日に現社研の会場にてお配する予定の冊子に掲載する予定です。

秋合宿についての報告は以上です。
                    
次回以降も教育をテーマに学習会を続けていきます。次回は下記のとおりです。

〇日時:10月9日()18:30~

〇場所:キャンパスプラザB312(部室)

〇学習会のテーマ:ソ連における青少年の教育

          (クループスカヤの場合)

〇参加費:無料

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 新入会員を募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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【文責:飯島】

 

現社研の駒場祭企画は「教育」がテーマです。


わたしたち現代社会研究会(現社研)は、今年も駒場祭に企画参加します。

企画名は「多角的に見る現代社会ーー教育を問う」です。

つまり、テーマは「教育」です。

現社研の簡単な企画紹介文は以下のとおりです。

〜〜次世代を育む「教育」は、この社会の未来を左右します。教育について多角的に研究した成果を、パネルで発表します。

 ※駒場祭にあわせて制作する冊子は少し厚い分量になるかと思います。関心がある方には企画会場にてお配りしたいと考えています。

現時点での企画紹介は以上になります。
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以下、教育について短く論じてみました。時間の余裕のある方はお読みください(あくまで、執筆者個人の見解であり、現社研の組織としての統一見解ではありません。)

〔教育は義務か権利か〕

 ところで、一般に、国民の三大義務のひとつとして、教育を受けさせる義務があることはご承知のとおりですが(その他は、労働の義務、納税の義務)、ここで「義務」とは「自由権」として守られる「権利」と置き換えてしまってもよいではないでしょうか。あるいは、教育を受けさせる義務とは、国家に対して合理的な教育制度の整備とそこでの適切な教育を要求する権利としての、国に対して要求できる「社会権」としての性格を帯びると解釈されています。つまり、親には子どもに「教育を」受けさせる義務を、子どもには教育を受ける「権利」を与えることが憲法解釈として定着しているのではないでしょうか。

 つまり、憲法法二六条は「教育を受ける権利」を規定した内容だと思われます。

<①すべての国民は、法律の定めるところにより、この能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を受ける権利を有する。

②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を追ふ。義務教育は、これを無償とする。>(二六条全文)

この「国民三大義務」を字面だけを捉えて、納税せず労働せず教育を受けない(勉強しない)人間は憲法違反を犯しているという「正論」があります(わたしの周囲にも確実にそう唱える人がいた)。しかし、この「正論」は、憲法上の「義務」の意味を履き違えている、言いがかりに過ぎない代物だと言えるのではないでしょうか(納税の場合でも「国民が国家権力に対して税金を払う権利」だとわたしは解釈します)。統治権力を縛るための憲法によって一般市民を罰しようとする事態においては、そもそも立憲主義における「憲法と法律一般との関係」が転倒してしまっています。さらに逆にいえば(正しくいえば)、国家からみた場合、国家は子どもに対して教育機会を実質的に与えるような環境を整備する義務があるということになるでしょう。国家は真っ先に、教育環境の整備に取り組まなければならないのです。

(以上のわたしの説明に誤りがあるでしょうか。ちなみにわたしは法律家でも法学生でもありません。ご指摘いただければ幸いです。)

〔”教育”の語りやすさ〕
 
いささか、硬い話になってしまいましたが、日本でも明治維新以降、国民教育が良くも悪くも相対的に徹底しておこなわれた結果、国民のすべてが公立学校・私立学校などを中心に、「国民皆教育」という事態になりました。明るい学園生活を送った人もいれば、いじめや体罰に悩みつづけた学園生活を送った人もいたりして、人それぞれです。ただ、「国民皆教育」を体験するという一点で日本人みんなが結びつくことができるでしょう。しかし、他方で、実際の学校生活はあまりに多様です。そのことを背景にして、みんなが一介の教育評論家になれてしまうのではないでしょうか(一億総教育評論家化)。文字通り「教育を誰もが体験しているのです」から。日本のエネルギー資源の今後のあり方を語る人はそう多くないはいないけれども、教育の場合では予備知識があまりなくても、自己の教育体験に基づいた、ある一定レベルの意見を述べることができるようになっている。その点で、プロの教育者ではあるが駆け出しで経験不足の先生に対しては、教育について「経験豊富」だと自認する保護者たちから、集中砲火を浴びやすいという事態も、上述の説明の一端をなしてりうのではないでしょうか。だから、今回の現社研の企画は、誰もが教育問題に一家言ある人になりやすいので、比較的取り組みやすい反面、内容のレベルの高さが要求される性格のものといえるのではないでしょうか。
 

【以上 文責:飯島】

 

2013年8月2日金曜日

次回の集まりは8月8日(木曜日)13時00分からです。


次回の現社研の集まりは、下記のとおりに決まりました。ふるっての参加をよろしくお願いします。
 
日時:8月8日(木曜日)13時00分開始
 
場所:キャンパスプラザB312(部室)


内容(※時間は多少ずれる可能性があります。)

(1)映画鑑賞(13:00頃から15:00頃まで)
 
→上映作品は『パラダイス・ナウ』ハニ・アブ・アサド監督 2005年)です。

(2)今年の駒場祭企画の内容検討(15:00頃から17:00頃まで)

→今年の駒場祭ではどんな企画を行いたいか、それぞれアイディアを考えてきて頂けると幸いです。

(3)前期納会(懇親会)

→上記終了後、渋谷にて実施の予定です(夕方頃から開始の予定)。
 
※なお、13時00分からの参加を希望しますが、途中参加でも大丈夫です。
 
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 現社研では新入会員を随時募集しております。初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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2013年6月25日火曜日

次回の読書会は6月27日(木曜日)です

  現代社会研究会(現社研)の皆様、6月19日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。

  さて、次回も引き続き、レーニン著『帝国主義論』をテキストに選び読書会をおこないます。以下が詳細です。「読書会」では、参加者はあらかじめ指定された文献(ここでは、レーニン著『帝国主義論』)を事前に読んできたうえで、参加するかたちをとります(指定された文献については、書店もしくは図書館で事前に入手してください)。当日は、報告者が作成した要約レジュメをもとに報告し、その後、参加者みんなで議論します。ただし、指定文献を読むことができない場合でも、参加はもちろん可能です。奮っての参加をよろしくお願いいたします。


テキスト:レーニン『帝国主義論』
訳は、角田安正版(光文社古典新訳文庫)、宇高基輔版(岩波文庫)、聴濤弘版(新日本出版社)などがあります。次回の読書会ではいずれの訳でも構いません。

範囲:5章〜第10
※扱う範囲は上記の通りですが、とくに第5章と第6章を中心的に扱います。

○日時:627(木曜日)18:30
※水曜日ではありませんので、ご注意ください。

場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室 キャンパスプラザB棟3階)

〇参加費:無料

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【文責:飯島】

2013年6月6日木曜日

次回の学習会は6月19日(水曜日)です

現代社会研究会(現社研)の皆様、6月5日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。

さて、次回の現社研の活動は引き続き読書会となります。レーニン著『帝国主義論』をテキストに選び読書会をおこないます。以下が詳細です。「読書会」では、参加者はあらかじめ指定された文献(ここでは、レーニン著『帝国主義論』)を事前に読んできたうえで、参加するかたちをとります(指定された文献については、書店もしくは図書館で事前に入手してください)。当日は、報告者が作成した要約レジュメをもとに報告し、その後、参加者みんなで議論します。ただし、指定文献を読むことができない場合でも、参加はもちろん可能です。奮っての参加をよろしくお願いいたします。



テキスト:レーニン『帝国主義論』
訳は、角田安正版(光文社古典新訳文庫)、宇高基輔版(岩波文庫)、聴濤弘版(新日本出版社)などがあります。次回の読書会ではいずれの訳でも構いません。

範囲:序章〜第四章(資本輸出)
次々回の読書会にて、第五章〜第十章(終章)までを扱う予定です。

日時:619()18:30
69日〜15日の週は現社研の予定はありませんので、ご注意ください。

場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室 キャンパスプラザB棟3階)

〇参加費:無料

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 現社研では新入会員を随時募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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 【文責:飯島】

2013年5月31日金曜日

次回の学習会は6月5日(水曜日)です

 次回は6月5日です。テーマは「国際社会における法の支配」です。形式としては、報告者(現社研の所属会員)による発表形式をとります。そのため、次回は読書会形式ではありませんので、指定テキストは特にありません。詳細は下記のとおりです。皆さんの奮っての参加をお願いします。

学習会

テーマ
「国際社会における法の支配」

日時
6月5日(水曜日)18時30分〜

場所
キャンパスプラザB312(B棟3階 現社研部室)


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現社研は、会員それぞれの個性と問題意識を尊重しつつ、幅広い視点から、現代社会を複合的に捉えることを目指して活動しています。4月の新入生歓迎期間は終了し、現社研は通年どおりの活動に戻っていますが、引き続き、現社研の学習会・読書会への見学を歓迎しています(もちろん、新入会員も随時募集しています)。

次回(6月5日)は発表形式をとりますので、文献を事前に読んでくる必要もなく、予備知識なしでも大丈夫です。事前登録も必要ありませんので、お気軽に部室までお越し下さい。

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さて、今回(529日)の読書会のテキストは水町勇一郎著の『労働法入門』(岩波新書)でした。報告者の方はお疲れ様でした。普段、法律書などを繙く習慣のない(法律に対して苦手意識が強い)私にとって、この本は「入門」と謳っているように、法律の学習への橋渡しに適ったものでした。とくに、将来社会人となる私たち学生にとって、労働法は「基礎知識」とも言える存在だけに、労働法の食わず嫌いは大きな損失といえるでしょう。私は、恥ずかしながら、「解雇権濫用法理」「不当労働行為」「36(さぶろく)協定」「ユニオン・ショップ」などの用語は、マスコミ等で耳にしたことはあるけれども聞き流してしまっていて、正確な理解を怠っていたと反省すること度々でした。それだけに、今回の読書会は労働法に触れる貴重な機会だったと思います。

今回の学習会では、主に次の点が議論となりました。すなわち、①日本における、近年みられる労働市場の規制緩和の動き、②日本における、労働問題について裁判所の利用件数の少なさ、などでした。

まず、①については、労働者派遣法(1985年制定)などに象徴されるように、使用者側の意向のみを反映させるような動きが見られます。その動きは、一部の労働者には利点もあるかもしれませんが、総じて、労働者側にその弊害が生じているのが、実態ではないでしょうか。使用者側は労働者の雇用を維持するという“責任”を放棄して、利潤追及のみに邁進しているのは、それが使用者側のある種の「宿命」だとしても、好ましいものとはいえないでしょう。

また、②については、労働問題について裁判所の判断を仰ぐことが労働者側にとって依然として壁が高く難しいという現状があります。労働審判制度の導入などで一応の改善もみられるのかもしれませんが、労働組合の形骸化・弱体化が進むなかで、労働者が泣き寝入りをしないための制度設計が求められます。

生涯にわたっていくつもの職を転々とする欧米型の雇用形態と、一生涯同じ会社を勤めあげる長期雇用慣行が特徴の日本型の雇用形態とがよく比較対照されます。自由さのある代わりに自己責任の強い欧米型のほうが望ましいとされますが、しかし、当の欧米人も「就職するならば長期雇用のほうがより望ましい」と答えるという話も耳にします(ある種、当たり前の話ですが)。「どちらが良くて、どちらが悪い」という話ではないのでしょう。

労働法のそもそもの目的は、使用者側に対して労働者側が経済的など様々な点で不利な立場にあるという、力関係の非対称を是正することにあります。「労働法は不要であり、民法だけで対処可能だ」という、使用者側からの発言も近年話題となっています。しかし、19世紀から今世紀に至る、脈々と受け継がれ発展してきた労働法の成果を安易に手離すことは、労働者にとって大きな損失となると私は考えます。労働法の”無効化”が進もうとしている現在、マスコミ報道などを通じて、これらの動きを注視していきたいです。

【文責:飯島】

2013年5月24日金曜日

次回の読書会は5月29日(水曜日)です


現代社会研究会(現社研)の皆様、5月22日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。

さて、次回の現社研の活動は引き続き読書会となります。水町勇一郎著『労働法入門』をテキストに選び読書会をおこないます。以下が詳細です。「読書会」では、参加者はあらかじめ指定された文献(ここでは、水町勇一郎著『労働法入門』)を事前に読んできたうえで、参加に臨むかたちをとります。指定された文献については、書店もしくは図書館で事前に入手してください。当日は、報告者が要約レジュメを作成・報告し、その後に参加者みんなで議論します。さらに、当日の報告では、最近の労働問題の事例なども、ピックアップして報告する予定です。ただし、指定文献を読むことができない場合でも、参加はもちろん可能です。奮っての参加をよろしくお願いいたします。


テキスト:水町勇一郎『労働法入門』
     (岩波新書 800円+税)

日時:5月29日()18時30分から

場所:キャンパスプラザB312
  (現社研の部室 キャンパスプラザB棟3階)

〇参加費:無料

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現社研では新入会員を随時募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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さて、今回(5月22日)の読書会のテキストはヴィクトール・W・フランクル著の『夜と霧』でした。原題が『心理学者、強制収容所を体験する』であることからも明らかなとおり、知られざる強制収容所の日常をごくふつうの被収容者(著者である、心理学者のフランクルも含む)の魂にどのように映ったのかを問おうとする著作です。

フランクルは、「人間はなにことにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう」と述べているように、極限ともいうべき状況に人間が追い詰められたとき、いかに人間は振舞うのか、あるいは振舞うべきなのかを、心理学的な所見や人文学的な教養を下に、分析し描き出した、衝撃的な著作でした。

当日の読書会では、特にフランクルの強制収容所の体験をもとに、生きる意味について問い直しをおこなっている点に議論が集中しました。すなわち、「ここで必要なのは、生きる意味について百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題だ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。」とフランクルは述べています。そして、「生きることの意味」を問うのではなく、「ひとえに行動によって、適切な態度によって、」「生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けること」をフランクルは強調します。しかし、当日の読書会では、万人にそのような義務を課すことが適切なのかどうかが議論になりました。つまり、フランクルのような境地に達するのは少数者に過ぎず、われわれ大多数にそのような義務を課すことは酷であり、はたして意味あることなのかどうか疑問だということでした。

ただ、フランクルは、別の箇所では「精神の自由」について述べていますが、そこでは、「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。」とされています。「精神の自由」は、「あたえられた環境でいかにふるまうか」というレベルでは、万人に開かれているとも解釈できます。

そうは言っても、強制収容所という文字通り極限状態における人間心理を安易に普遍化できるのか疑問だ、という意見も出されました。訳者(池田香代子氏)のあとがきによると、「読者の選ぶ二十一世紀に伝えるあの一冊」のアンケートで、翻訳ドキュメント部門の第三位に本書が挙げられたそうです。なぜ、一般人の圧倒的大多数はその人生のなかで体験しないであろう、極限状態下での心理を描いた書物が人びとの心に突き刺さったのか、それは確かに考えるべき問題だと思います。総力戦の様相を呈した世界大戦下あるいは高度に発達した資本主義下における人間疎外が進んだ二〇世紀(とくにその前半)特有の世相が時代背景としてあったがゆえに、この書物が人びとに共感をもって迎えられた、という事情があったのかもしれません。その意味で、「時代の書」と言えるでしょうか。

以上、当日の報告と議論の模様をかなり乱暴ですが簡単にまとめてみました。名著は読むたびに新しい発見があると言われます。また、機会があるたびに読み返してみることで、より深い人生観に到達するような読後感が得られると思います。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

【文責:飯島】