2014年11月18日火曜日

今年の駒場祭企画会場は1号館116教室(1階)です

 TOSMOSでは今年の駒場祭企画として「社会保障」を扱います。

言うまでもなく、社会保障はこの社会を左右する重要なテーマです、現代を生きる私たちにとっても欠くことのできない制度となっています。TOSMOSでは、駒場祭企画にむけて、今年九月から、「社会保障」について多角的に考察し、現代社会における社会保障の制度のあり方やその課題、歴史などについて検討を重ねてきました。そして、その成果を駒場祭にて発表します。企画の会場となる教室において、パネル形式の発表(会場内でのパネル展示)をおこなうとともに、本テーマの詳細を載せた冊子を来場者の方に配布いたします。

ブログをご覧のみなさん、ぜひTOSMOSの駒場祭企画に足を運んでみませんか?

○テーマ:〜多角的に見る現代社会〜

社会保障と向きあう
【趣旨】

国が生存権を保障する制度である社会保障制度、日本社会が急速に少子高齢化へと向かっている現在、マスコミなどでもたびたび、社会保障関連のテーマが報じられています。こうしたなか、政府も20146月に「社会保障制度改革推進会議」を設置し、今後の社会保障制度についての検討を進めています。そこで、この企画では、社会保障の誕生と発展の歴史や、憲法25条が保障する生存権の意義を踏まえつつ、以下のようなテーマを切り口に、社会保障の今後のあり方を探っていきます。


【発表テーマ一覧】

・日本の社会保障の全体像

 

・生存権と日本国憲法――憲法25条に関する法的論点をめぐって

 

・社会保障と税の一体改革について

 

・年金制度改革について

 

・難病患者への医療・障害者福祉制度――制度の「谷間」に注目して

 

・ベーシック・インカムについて

 

・イギリスと日本における社会保障のあゆみ――恩恵・慈善の受動的対象者から権利の主体的獲得者へ

〇日程:1122()24日(月・休)

900分から1800分(24日は1500分まで)

〇場所:1号館116号教室(1階)
(東京大学駒場キャンパス内)

〇参加費:無料

○発表形式:パネル形式の発表の展示/冊子の配布

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 現代社会研究会は、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 社会、経済、平和、環境、国際関係、憲法、メディア、文化、芸術等のテーマに関して、討論、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。
 もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?
 わたしたちは常に、現代社会について研究する新しいメンバーを募集しています。
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【文責:飯島】

 

2014年11月1日土曜日

次回の学習会は11月5日(水曜日)です。


次回の学習会の予定は以下の通りですので、よろしくお願いします。

次回学習会(駒場祭に向けた学習会)

日時:115(水曜日)18:30〜

○場所:キャンパスプラザB312(部室)

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。


事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

 内容:社会保障について

(より具体的な内容は、当日に報告者から発表されますので、ご了承ください。)

なお、今後の学習会の際には適宜、学習会後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、10月29日開催のTOSMOSの学習会に参加の皆様、お疲れ様でした。

 また、報告者の方、報告ありがとうございました。テーマは「ベーシックインカム」についてでしたが、皆様、いかがだったでしょうか。

 以下、当日の報告について簡単なまとめを試みます。

 まず、報告ではベーシックインカム(Basic Income 以下BI)の定義づけをおこないました。すなわち、BIとは「すべての人に、個人単位で、稼働能力調査や資力調査をおこなわず、無条件で給付される制度」であると。もっと詳しくいえば、①現物ではなく金銭給付、②毎月ないし毎週といった定期的な支払い、③国家または他の政治的自治体(地方自治体など)によって支払われる、④世帯や世帯主にではなく、個々人に支払われる、⑤資力調査(ミーンズテスト)なしに支払われる、⑥稼働能力調査なしに支払われる、というように整理できるでしょう。

 このBIの定義をみて、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンが唱えた「負の所得税」を思い浮かべる人もいるかもしれません。「負の所得税」とは、最低生活水準以下の低所得の家計や個人に,その差額のある割合を政府が支給する現金給付額のことを指します。一見すると似ていますが、負の所得税はBIと違って①世帯単位に支払われる、②ミーンズテスト(資力調査)が必要であり、③事後に支払われる仕組みとなっています。

 皆さんは上述のBIの定義をみてどのような感想を持ちますか?慈善色が残る(それだけスティグマ〔恥辱感〕が発生する)公的扶助ではなく、すべての人間が有する権利としてBIに魅力を感じる人もいるでしょう。たとえば、女性の権利拡張を主張するフェミニストのなかには、世帯ではなく個人に支払われるBIによって家父長制を実質的に死滅させることができ、「家事労働にも賃金を!」との主張の実現への大きな一歩になると考える人もいるでしょう。

 あるいは、貧困問題に取り組んでいる活動家のなかには、貧困の罠(すなわち、賃金などの所得が増えても、それまで享受できた政府などの援助が打ち切られたり、減らされたりして、結局貧困から抜け出せない現象)の発生を回避して、よりマシな働き方への移行を金銭的に保障して、貧困からの“離陸”をあらゆる個人に可能とするような機会を提供することになると期待する人もいるでしょう。

 労働を取り巻く問題への解決の一助となるBI構想ですが、はたして実現可能性はあるのでしょうか。まず皆さんは「財源はどうするのか?」という疑問を持つことでしょう。その点については、財源を定率所得税に求める論者や累進所得税に求める論者あるいは消費税に求める論者など、まだ見解の統一はとれていないようです。ただ、報告によると、財源的な裏付けのための緻密な計算が欧米ではなされているとのことです。

 また、BIによって「労働への意欲を人々が失うのではないか?」という疑問もあるでしょう。しかし、最低生活が保障されることにより、自分が本当にしたい仕事に就く機会が増え、逆に労働意欲を増すという効果が期待できるとされています。今の仕事が嫌なら、やめればよい。あるいは、月5万円にしかならない仕事でも、その仕事にやりがいを感じる人はBIのおかげでその仕事に従事できることができるでしょう。人類史上初めて、「働らかざる者、食うべからず」の“呪縛”から解放されることで、逆に価値観(労働観)の変容・逆転が起き、より充実したライフワーク(天職)への従事が実現されるでしょう。だから、働き方の多様化を下支えする制度だともいえるでしょう。

 さらに、「このようなBIを実現させる政府とはいかなるものなのか?」という疑問もあるでしょう。誰がどのように実施するのか。従来の伝統的な社会保障を廃止してBIに統一するだけの強力な(もっといえば革命的な)政権が、国民からの階層・階級を超えた幅広く熱狂的な支持を取り付けたうえで、BIを実施することになるでしょう。BIの実現のため、その理念を国民に率直に提示して、きちんとした制度設計をおこなうなどによって、人々から明確な同意をとりつける必要が生じます。
 

 以上、当日の報告をもとに、BI構想の実現可能性について考えてみましたが、ブログ執筆者であるわたし(飯島)個人としては、現行の社会保障の在り方を再考するきっかけとして、BI構想を意味あるものとして位置づけてもよいのはないかとも考えます。たとえBIが実現できないとしても、社会保障の意義や施行状況を問い直すための、ある種の思考実験あるいは評価基準として考えてみる価値はあるのかもしれません。

 しかし同時に、われわれが生きている現在の資本主義社会のなかにおいて、BI構想はあまりに空想的だとも思えます。なによりもBIを生み出す(つまり、意味あるものとしてリアリティを付与するだけの)社会的基盤が資本主義の展開・発展のなかから見出すことができるのか大いに疑問です。BIを共産主義や社会主義の一亜流と位置づける論者もいるようですが、マルクスやエンゲルスなどの社会主義者たちは、自らの社会構想を歴史発展の関係上必然的な不可避な出来事として位置づけることでリアリティあるもとして提示しました。資本主義の発展により生じた矛盾の解消としての社会主義革命を彼らなりの科学性に立脚して企図したわけです。それに比べると、BI構想とわれわれが暮らしている資本主義社会の仕組みとの関係性が不明です。だから、資本主義社会の外部から導入するしかなく、そのようなことをする主体とはどこに存在するのかも不明となっています(ちなみに、マルクスらは“革命”の主体を、資本主義が必然的に大量に生み出す「プロレタリアート」に求めたわけですが)。だから、BIそのものは空想的「社会主義」の一種だと判断するしかないようです。ただし、先述のとおり、“思考実験”としての意義はあるのでしょうが。

 最後はちょっと辛い評価となりました。しかし、BIが支持される背景として、日本社会が成熟化社会へとむかうなかで、多様な人生や多様な働き方や多様な家族形態が広がりつつあることが挙げられます。つまり、従来型の社会保障が想定している社会像ではそのような多様な生き方に対応できなくなってしまっているわけです。BI構想はこれまでの社会保障の限界をある意味”告発”しているのでしょう。BIをめぐる議論の活発化は、社会保障の新たなる展開が必要となっていることを意味していると言えるのかもしれません。

 TOSMOSの当日の報告でも参加者から様々な意見が出て、それなりに議論がなされましたが、サークルとして確固たる結論が出されたわけではありません。皆さんはBIをどのように考えますか?

【文責:飯島】

 

2014年10月26日日曜日

次回の学習会は10月29日(水曜日)です。


次回の学習会の予定は以下の通りですので、よろしくお願いします。

次回学習会(駒場祭に向けた学習会)

日時:10月29日(水曜日)18:30

場所:キャンパスプラザB312(部室)

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。


事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

 内容:社会保障について

(より具体的な内容は、当日に報告者から発表されますので、ご了承ください。)

なお、今後の学習会の際には適宜、学習会後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)


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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、10月21日開催のTOSMOSの学習会に参加の皆様、お疲れ様でした。

 また、報告者の方、詳細な報告、ありがとうございました。テーマは「年金制度改革」についてでしたが、皆様、いかがだったでしょうか。

 以下、当日の報告について簡単なまとめを試みます。

 報告では、まず日本の年金制度の歴史を振り返りました。日本で最初の年金は1875年の軍人恩給制度でした。この制度は性格的には公務員だけに限り、財源も税金によるものでした。1905年には初の民間企業の年金制度として鐘紡共済組合が登場します。加入は任意で、支給額は所得比例によるものでした。本格的な年金制度は1942年の労働者年金保険と1943年の厚生年金保険の創設を待たねばなりませんでした。これにより、保険の対象者を民間企業で働くすべての(男子)労働者に広げられることになりました(厚生年金保険で女子にも拡大)。また、厚生年金の支給額がこれまでの所得に比例して決められていましたが、この制度改革で、定額の支給額がすべての被保険者に適用され、さらに所得比例部分を上乗せするというものへと変更されます(定額+所得比例)。

 そして、1961年には民間労働者だけでなく、農家や自営業者なども保険の対象者として含める制度改革がなされます。国民年金制度の創設で、これをもって「国民皆年金制度制の確立」と言われることがあります。さらに、1973年には物価スライド・賃金スライド導入、1986年には二階建て年金制度よって、国民年金と厚生年金の統合が図られます。厚生年金加入の労働者を含めて、すべての国民に定額の国民年金(基礎年金)を支給するとし、さらに国民年金のうえに所得比例の厚生年金を上乗せするというかたち(二階建て)となります(さらに、そのうえに私的年金を加えれば、三階建てとなります)。2004年にはマクロ経済スライド制へと移行します。以上が、日本の年金制度のおおまかな変遷です。

 つづいて、国民年金制度と厚生年金保険制度との二つの制度に関する基礎知識を確認するという意味で、当日の報告では両制度の具体的中身について詳細に触れました。スペースの都合上省きますが、国民年金制度の財政が、国庫が半分負担(25000億円)、国民年金各号被保険者が基礎年金拠出金として残りの半分を負担するかたち(2004年に、これまでの国庫負担が3分の1から2分の1に変更)になったことを確認したいと思います。

 つづいて、公的年金制度の必要性として、なぜ「公的」であらねばならないのか、その意義が報告されました。その制度発展の背景として、①急速な高齢化の進行(1950年代に5%だった高齢化率が現在では20%を超えており、将来には40%に上昇すると予測されています)、②家族構造の変容(戦後の産業構造の主流が、農業を中心とした第一次産業からサービス業を中心とした第三次産業へと移行するにともなって、従来型の三世代家族から単身・一世代家族へと家族構造が変容します。このため、高齢者を家長である長男が支えるという想定が難しくなりました)、③戦後民主主義(日本国憲法第25条の生存権の規定により、国民の生活水準の維持が国の責務となりました)が挙げられると思われます。

このことから、「老後の備え」としての公的年金制度の重要性が高まっています。もし、公的年金制度がなければ、高齢者は①子どもに支援を求める、②政府の援助を求める、③自助努力(自分の貯蓄や私的年金)に頼るしかなくなりますが、諸事情かから①②が難しい場合、自助努力しか選択肢がなくなります。しかし、個人貯蓄に頼るとしても、ライフサイクル・モデル(合理的な貯蓄計画)という考え方(自分の寿命を予想して、それに見合ったかたちで貯蓄を形成する)の現実性には疑問符が付くなど、長生きするリスクをカバーすることが難しい、という限界もあります。

そもそも公的年金保険と異なり、個人(私的)年金保険は積立方式となっています。これは、「保険」を通じて短命の人が支払った保険料相当額が長命の人への再配分(水平的再配分)される仕組みとなっています。しかし、この保険制度では、物価の変動に対応できないという難点もありますし、たとえ裕福層にとっては貯蓄があるため合理的な老後生活の計画が可能であったとして、低所得層にとっては個人年金保険への加入がそもそも難しく将来の生活の計画が難しいでしょう。総じて、個人年金のみではすべての国民の生活を保障することができず、それだけ公的年金制度の意義は大きいと言えるでしょう。

 では、日本の公的年金制度の特徴を考えていきたいと思います。その特徴としては、①制度への加入が強制的、②年金額あるいは保険料を通じて何らかの所得再配分が行われる(所得再配分機能)、③制度の運営は政府もしくは公的な機関が行う、④各種のスライド制度(賃金スライド、物価スライド)が採用される、⑤年金財政方式として賦課方式あるいは修正積立方式が採用されている、などが挙げられるでしょう。

 さらに、公的年金制度の給付水準の考え方を概観していきましょう。まず給付からみた年金制度は大きく二つに分かれます。確定給付型年金制度と確定拠出型年金制度です。前者は年金支給額をあらかじめ公表する制度ですが、制度変更のたびに支給額の変更を公表する必要があります。後者は保険料の支払い額だけがわかる制度で、被保険者の運用次第で支給額が変化していきます。また、定額年金と所得比例年金があります。保険料支給額が同じ定額年金は、イギリスのべヴァレッジ報告(1942年)をもとに作られた制度となります。一方の所得比例年金は、ドイツのビスマルクによって採用され、ILO条約で採択されています。先述のとおり、日本では一階部分にあたる国民年金が定額年金であり、二階部分にあたる厚生年金が所得比例年金と言えます。つまり、日本は両制度の混合型(ハイブリッド型)と言えるでしょう。さらに、給付を個人単位にすべきか、家族単位にすべきか、支給開始年齢はどうするのかが現在議論されている問題として挙げられます。

 また、年金制度の財政面での仕組みを考えていきましょう。「安定的な財政基盤は年金制度の要」と言えますが、その財政運営には、賦課方式と積立方式があります。一方の賦課方式とは、将来の年金給付に必要な原資を保険料で積み立てる方式です。現在の現役世代の人が払い込んだ保険料を現在の高齢者に支給する仕組みです。これは、現役世代から高齢者への再配分をおこなうものと理解できます。「世代間扶養」とも呼ばれます。他方の積立方式とは年金原資を同時期の現役世代の保険料でまかなう方式です。若い現役世代に払い込んだ保険料を積み立て、老後になって年金を受け取る仕組みです。これは、年齢集団ごとに事前に保険料と年金の金額を決めておく必要があります。   

そして、報告では、両制度の比較をおこなれました。たとえば、予想外の人口・経済変動が生じたときに財政的な影響としては、賦課方式では人口の変動の影響を受けます。日本では少子高齢化により後世代の負担が増加するということが社会問題化しています。他方の積立方式では経済変動の影響を受けることになります。つまり、インフレがあると給付価値が減少してしまうという問題点が生じるのです。

また、いわゆる「二重の負担」問題があります。これは、公的年金制度を賦課方式から積立方式に切り替える場合、切り替え時の現役世代が自らの将来の年金の積み立てに加えて、そのときの受給世代の年金分も負担する必要があるという問題です。

現在、賦課方式から積立方式への切り替えが主張されていますが、アメリカでは当初は積立方式だったのが、世界恐慌の煽りをうけての激しいインフレに耐えかえて1935年には積立方式が行き詰まり、1939年には賦課方式へと移行したという歴史があります。欧米各国の公的年金制度は、積立方式でスタートしたが、上述のような激しいインフレによる積立金の減価などを主因として受給世代への給付原資を十分に確保できなくなっていたために、1950年前後を境として相次いで賦課方式へと移行していったという経緯があります。

ちなみに、先述のとおり、日本では積立方式と賦課方式とを組み合わせた「修正積立方式」となっています。基本的には賦課方式を採用しつつも、年金制度が成熟化(引退世代の人口の比率が高まったのち高位安定すること)していないときに徴収する保険料の一部を積み立てておき、制度が成熟化したときに給付の一部を積立分であてるという仕組みです。好意的に受けとめれば、両者の利点を取り入れ、両者の欠点を補う仕組みになっているとも言えるかもしれませんが、一方で公的年金制度に対する加入者の関与と責任を曖昧に、問題を複雑化する一因となったとの指摘もあります。現在日本では、少子高齢化により、積立方式導入論が主張されています。

さて、最後に近年の日本における年金制度改革論を概観していきたいと思います。報告では八つの論点が挙げられました。若干のコメントを付して、触れたいと思います。すなわち、

①給付水準引き下げ・支給開始年齢引き上げ論

②積立方式導入論
⇒これは、前述のとおり、いわゆる「二重の負担」問題があります。

③厚生年金民営化論
⇒これは、民営化により経営破綻のおそれもあります。

④基礎年金の税財源化論
⇒これは、給付のためにミーンズテスト〔資力調査〕の必要が生じて、スティグマ〔恥辱感〕の問題が発生します。また、仮に消費税を財源にあてた場合、所得の違いに応じて負担が異なるという問題が生じます。累進的な課税が現実的なのかもしれません。

⑤公的年金一元化論
⇒これは、国民年金と厚生年金とを一体化するものですが、国民年金の加入者である農家・自営業者の収入の把握が難しいという問題や、定額から所得比例方式にした場合に保険料も給付額も確定しにくいという問題などが生じます。

⑥第三号被保険者問題
⇒これは、サラリーマンの妻で専業主婦などで構成される第三号被保険者と、夫婦ともに厚生年金の保険料を払う共働き世帯や夫婦とも国民年金の保険料を支払う自営業世帯との間での不公平の問題です。

⑦パート・派遣労働者の厚生年金保険適用問題

⑧ライフスタイルに対し中立的な年金制度

総じて、私(飯島)は報告者からの報告を聞きながら、国の責任の所在は明確にするという意味からも、「老後の備え」は基本的に公的年金制度であるべきだと考えました。皆さんはいかがお考えでしょうか。今後も、TOSMOSでも年金制度のあるべき姿を議論しつつ、考えていきたいと思います。

 
【文責:飯島】

 

2014年10月19日日曜日

次回の学習会は10月22日(水曜日)です。


次回の学習会の予定は以下の通りですので、よろしくお願いします。

次回学習会(駒場祭に向けた学習会)
日時:10月22日(水曜日)18:30
 
場所:キャンパスプラザB312(部室)

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。


事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

内容:社会保障について

(より具体的な内容は、当日に報告者から発表されますので、ご了承ください。)

なお、今後の学習会の際には適宜、学習会後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)


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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、1014日開催のTOSMOSの学習会に参加の皆様、お疲れ様でした。

 当日の報告は「日本国憲法と社会保障をめぐって」と題して、日本国憲法第25条(生存権の意義と役割などを概観する内容となりました。ここでは、当日の報告のなかから、報告の模様についての簡単なまとめを試みます。 

まず、日本国憲法第25条の条文を眺めてみましょう。

①すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に務めなければならない。

条文は以上のようになっていますが、そもそも生存権と呼ばれる権利は、人権の一つとされています。すなわち「社会権」の重要な項目として生存権は位置づけられ、自由権や参政権と並んで人権の重要な権利として構成されています。

さらに詳しくいうと、人権は「国家からの自由」である自由権、「国家への自由」である参政権、「国家による自由」である社会権の三種類に大別できます。ちなみに、社会権には、生存権のほか、教育を受ける権利や労働権(勤労権)や労働基本権があります。

人権の歴史を振りかえってみると、自由権がフランス人権宣言(1789年)にまず最初に登場し、それから130年後に、社会権がワイマール憲法(1919年)に憲法上はじめて規定されることとなります。社会権が登場する背景には、20世紀の資本主義国がもはや自由放任主義に徹することができない社会状況となったことが挙げられます。発言権を増す労働者や農民などの意見を受け入れて、経済活動に対して一定の法的規制を加えるとともに、経済的弱者の権利を積極的に保護する施策を展開していく必要に迫られたと言えるでしょう。 

ちなみに、資本主義各国の憲法は社会権を設置すると同時に、経済的自由権(財産権)に対する制限を定めることになります。日本国憲法でいえば、第29条第2項(「財産権の内容は公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」)に規定されています。

また、日本国憲法制定時に、当初の政府案では現行の第2項にあたる規定だけからなる案だったのが、当時の日本社会党が第1項(「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」)にあたる内容を盛り込むように修正案を提出し、現在の第25条(生存権)の規定になったという歴史的経緯は知っておいて損はないでしょう。

さて、憲法に規定された生存権ですが、その法律的性格をめぐってはその後様々な学説が展開されることになります。すなわち、プログラム規定説と法的権利説(それは、抽象的権利説と具体的権利説に大別)の相克です。おおまかなイメージとして、国の責任が問われる程度としては、プログラム規定説がその責任がもっとも軽く、次に抽象的権利説、そしてもっとも重いのが具体的権利説であると、レベル的に理解してよいと思います。

まず、最初に登場した学説がプログラム規定説です。第25条の規定は、国民に社会保障に関する具体的権利ないし請求権を与えるものではなく、国の政治的・道徳的義務を明示したものにすぎない、とする説です。このプログラム規制説に依拠したとされる最高裁判決が、食糧管理法事件判決(1948年)です。食糧管理法に違法で精米を買受した被告人が、「国民がこの不足食糧を購入し運搬することは生活権の行使であり、これを違法とする食糧管理法の規定は憲法違反である」と主張して国と争い、結局被告人敗訴となった事件です。

このようにプログラム規定説が有力説とされていましたが、やがて抽象的権利説へと有力説が入れ替わる契機となったのが、1960年代に争われた朝日訴訟です。

これは、肺結核で療養所暮らしをしていた、単身で無収入の朝日茂氏が、生活扶助の在り方を問うた裁判です。すなわち、「厚生大臣の定める日用品費600円の基準額は、憲法および生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りない違法のものである」と主張し、行政訴訟を提起した裁判です。

第1審判決では抽象的権利説の立場に立った判決とされます。抽象的権利説とは、「生存権を実現する具体的手続き、方法を規定する生活保護法といった具体的な法律の制定と相まって、双方を根拠に、法的権利(具体的な請求権)を導きだすことができる」とする説です。判決の詳しい内容は、ブログ執筆者の能力を超えるため割愛しますが、結局、朝日氏は最高裁に上告中に死亡し、形式的には「訴訟終了」となります。ただ、最高裁は「なお、念のため」と傍論において、生存権の法的性格について判示しています。この判決はプログラム規定説に立脚したものか、あるいは抽象的権利説に立脚したものか、学説において争いがあるものの、社会的にも注目された朝日訴訟を契機として、プログラム規定説から抽象的権利説へと有力説が移行して、生活保護の具体的内容の充実が図られることとなります。現在ではプログラム規定説を採用する法学者はほとんど存在しないと言われています。

ちなみに、三つ目の具体的権利説とは、「憲法25条の規定が『健康で……権利を要する』という表現になっている以上、その規定にもとづいて国民に「憲法で文化的な最低限度の生活を営む権利」が具体的に保障されたと解し、かりに生存権を具体化する法律がなかったり、あるいは、あっても不十分なものである、という場合には、国民は、当該立法不作為の違憲確認訴訟を提起することができる、という説です。少数説ですが、現在この学説に依拠する法学者も少なくありません。

以上のように、憲法に明記された生存権をめぐる解釈の動きを簡単に概観しました。最後に、「健康で文化的な最低限度の生活の保障」という条文の意味するところを、憲法学者の浦部法穂氏の主張に沿いつつ、あらためて考えてみたいと思います(浦部法穂『憲法学教室〔全訂第2版〕』240ページに依拠)。

浦部氏はおおそよ次のように述べます。すなわち、生存権をもって、伝統的な救貧施策を行うことを、具体的には公的扶助(生活保護)を行うことを意味すると一般には解されています。しかし、最低限度の生活を営みえなくなったときにはじめて権利が発生するのではなく、現在は最低限度以上の生活をしている人も、たとえば失業・疾病・障害・老齢などのために、いつなんどき現在の生活基盤を失うやもしれません。そのときに、最低限度の生活だけは最低限保障されている、という仕組みができあがっていてはじめて、すべての国民が最低限度の生活を営む権利を有するということが、実質的に意味をもつことになる、と。

生存権の具体的施策としては、生活保護(公的扶助)が中心になるのではなく、むしろ、誰もが生活保護を受けなくても済むようにするための施策(たとえば、失業保険、医療保険、各種年金などの制度)が中心になるとみなければならないのです。

ブログ執筆者(飯島)から最後に一言。

このような浦部氏の主張はいわゆるセーフティーネット論と通じるものがあるように思われます。「<信頼と協力の領域>によって<市場競争の領域>が支えらえており、両者は切り離せない相補関係にある。実際、規制緩和の名の下に、これらのセーフティーネットを起点とする<信頼と協力の領域>を解体してゆくと、<市場競争の領域>も麻痺する様相を呈してくるからである。」(金子勝『セーフティーネットの政治経済学』6768ページより)。「最低限度の生活を営みえなくなったときにはじめて権利が発生する」という通俗的な解釈では、セーフティーネットの構築を蔑ろにし、さらには市場経済での活動をも阻害するという点に注目したいです。少なくとも、公共的な分野での規制緩和をめざす政財界が使う「セーフティーネット」論がなにをもたらすのかを見極め(金子氏のいう「セーフティーネット」論と政財界が使う「セーフティネット」論とは似て非なるものだと思います。後者の施策は社会保障を破壊するものとわたしは解します)、労働者・市民の日常活動の安定性を図るためには何が必要かを考えつつ、生存権の労働者・市民への適用の在りようを、そして社会保障全体の在りようを考えていく必要があると思います。

【文責:飯島】