2014年10月19日日曜日

次回の学習会は10月22日(水曜日)です。


次回の学習会の予定は以下の通りですので、よろしくお願いします。

次回学習会(駒場祭に向けた学習会)
日時:10月22日(水曜日)18:30
 
場所:キャンパスプラザB312(部室)

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。


事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

内容:社会保障について

(より具体的な内容は、当日に報告者から発表されますので、ご了承ください。)

なお、今後の学習会の際には適宜、学習会後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)


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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、1014日開催のTOSMOSの学習会に参加の皆様、お疲れ様でした。

 当日の報告は「日本国憲法と社会保障をめぐって」と題して、日本国憲法第25条(生存権の意義と役割などを概観する内容となりました。ここでは、当日の報告のなかから、報告の模様についての簡単なまとめを試みます。 

まず、日本国憲法第25条の条文を眺めてみましょう。

①すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に務めなければならない。

条文は以上のようになっていますが、そもそも生存権と呼ばれる権利は、人権の一つとされています。すなわち「社会権」の重要な項目として生存権は位置づけられ、自由権や参政権と並んで人権の重要な権利として構成されています。

さらに詳しくいうと、人権は「国家からの自由」である自由権、「国家への自由」である参政権、「国家による自由」である社会権の三種類に大別できます。ちなみに、社会権には、生存権のほか、教育を受ける権利や労働権(勤労権)や労働基本権があります。

人権の歴史を振りかえってみると、自由権がフランス人権宣言(1789年)にまず最初に登場し、それから130年後に、社会権がワイマール憲法(1919年)に憲法上はじめて規定されることとなります。社会権が登場する背景には、20世紀の資本主義国がもはや自由放任主義に徹することができない社会状況となったことが挙げられます。発言権を増す労働者や農民などの意見を受け入れて、経済活動に対して一定の法的規制を加えるとともに、経済的弱者の権利を積極的に保護する施策を展開していく必要に迫られたと言えるでしょう。 

ちなみに、資本主義各国の憲法は社会権を設置すると同時に、経済的自由権(財産権)に対する制限を定めることになります。日本国憲法でいえば、第29条第2項(「財産権の内容は公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」)に規定されています。

また、日本国憲法制定時に、当初の政府案では現行の第2項にあたる規定だけからなる案だったのが、当時の日本社会党が第1項(「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」)にあたる内容を盛り込むように修正案を提出し、現在の第25条(生存権)の規定になったという歴史的経緯は知っておいて損はないでしょう。

さて、憲法に規定された生存権ですが、その法律的性格をめぐってはその後様々な学説が展開されることになります。すなわち、プログラム規定説と法的権利説(それは、抽象的権利説と具体的権利説に大別)の相克です。おおまかなイメージとして、国の責任が問われる程度としては、プログラム規定説がその責任がもっとも軽く、次に抽象的権利説、そしてもっとも重いのが具体的権利説であると、レベル的に理解してよいと思います。

まず、最初に登場した学説がプログラム規定説です。第25条の規定は、国民に社会保障に関する具体的権利ないし請求権を与えるものではなく、国の政治的・道徳的義務を明示したものにすぎない、とする説です。このプログラム規制説に依拠したとされる最高裁判決が、食糧管理法事件判決(1948年)です。食糧管理法に違法で精米を買受した被告人が、「国民がこの不足食糧を購入し運搬することは生活権の行使であり、これを違法とする食糧管理法の規定は憲法違反である」と主張して国と争い、結局被告人敗訴となった事件です。

このようにプログラム規定説が有力説とされていましたが、やがて抽象的権利説へと有力説が入れ替わる契機となったのが、1960年代に争われた朝日訴訟です。

これは、肺結核で療養所暮らしをしていた、単身で無収入の朝日茂氏が、生活扶助の在り方を問うた裁判です。すなわち、「厚生大臣の定める日用品費600円の基準額は、憲法および生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りない違法のものである」と主張し、行政訴訟を提起した裁判です。

第1審判決では抽象的権利説の立場に立った判決とされます。抽象的権利説とは、「生存権を実現する具体的手続き、方法を規定する生活保護法といった具体的な法律の制定と相まって、双方を根拠に、法的権利(具体的な請求権)を導きだすことができる」とする説です。判決の詳しい内容は、ブログ執筆者の能力を超えるため割愛しますが、結局、朝日氏は最高裁に上告中に死亡し、形式的には「訴訟終了」となります。ただ、最高裁は「なお、念のため」と傍論において、生存権の法的性格について判示しています。この判決はプログラム規定説に立脚したものか、あるいは抽象的権利説に立脚したものか、学説において争いがあるものの、社会的にも注目された朝日訴訟を契機として、プログラム規定説から抽象的権利説へと有力説が移行して、生活保護の具体的内容の充実が図られることとなります。現在ではプログラム規定説を採用する法学者はほとんど存在しないと言われています。

ちなみに、三つ目の具体的権利説とは、「憲法25条の規定が『健康で……権利を要する』という表現になっている以上、その規定にもとづいて国民に「憲法で文化的な最低限度の生活を営む権利」が具体的に保障されたと解し、かりに生存権を具体化する法律がなかったり、あるいは、あっても不十分なものである、という場合には、国民は、当該立法不作為の違憲確認訴訟を提起することができる、という説です。少数説ですが、現在この学説に依拠する法学者も少なくありません。

以上のように、憲法に明記された生存権をめぐる解釈の動きを簡単に概観しました。最後に、「健康で文化的な最低限度の生活の保障」という条文の意味するところを、憲法学者の浦部法穂氏の主張に沿いつつ、あらためて考えてみたいと思います(浦部法穂『憲法学教室〔全訂第2版〕』240ページに依拠)。

浦部氏はおおそよ次のように述べます。すなわち、生存権をもって、伝統的な救貧施策を行うことを、具体的には公的扶助(生活保護)を行うことを意味すると一般には解されています。しかし、最低限度の生活を営みえなくなったときにはじめて権利が発生するのではなく、現在は最低限度以上の生活をしている人も、たとえば失業・疾病・障害・老齢などのために、いつなんどき現在の生活基盤を失うやもしれません。そのときに、最低限度の生活だけは最低限保障されている、という仕組みができあがっていてはじめて、すべての国民が最低限度の生活を営む権利を有するということが、実質的に意味をもつことになる、と。

生存権の具体的施策としては、生活保護(公的扶助)が中心になるのではなく、むしろ、誰もが生活保護を受けなくても済むようにするための施策(たとえば、失業保険、医療保険、各種年金などの制度)が中心になるとみなければならないのです。

ブログ執筆者(飯島)から最後に一言。

このような浦部氏の主張はいわゆるセーフティーネット論と通じるものがあるように思われます。「<信頼と協力の領域>によって<市場競争の領域>が支えらえており、両者は切り離せない相補関係にある。実際、規制緩和の名の下に、これらのセーフティーネットを起点とする<信頼と協力の領域>を解体してゆくと、<市場競争の領域>も麻痺する様相を呈してくるからである。」(金子勝『セーフティーネットの政治経済学』6768ページより)。「最低限度の生活を営みえなくなったときにはじめて権利が発生する」という通俗的な解釈では、セーフティーネットの構築を蔑ろにし、さらには市場経済での活動をも阻害するという点に注目したいです。少なくとも、公共的な分野での規制緩和をめざす政財界が使う「セーフティーネット」論がなにをもたらすのかを見極め(金子氏のいう「セーフティーネット」論と政財界が使う「セーフティネット」論とは似て非なるものだと思います。後者の施策は社会保障を破壊するものとわたしは解します)、労働者・市民の日常活動の安定性を図るためには何が必要かを考えつつ、生存権の労働者・市民への適用の在りようを、そして社会保障全体の在りようを考えていく必要があると思います。

【文責:飯島】