2013年5月13日月曜日

次回の読書会は5月22日(水曜日)です。


 現代社会研究会(現社研)の皆様、5月8日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。特に、報告者の方はご苦労様でした。

 さて、次回はヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』をテキストに選び読書会をおこないます。以下が詳細です。「読書会」では、参加者はあらかじめ指定された文献(ここでは、フランクル著『夜と霧』)を事前に読んできたうえで、参加に臨みます。指定文献については、書店もしくは図書館で事前に入手してください。なお、当日は、報告者が要約レジュメを作成・報告し、その後に参加者みんなで議論します。ただし、諸事情により、指定文献を読むことができなかった場合にも参加はもちろん可能です。奮っての参加をよろしくお願いいたします。
 
 

 なお、このテキストは、ある心理学者によるナチス・ドイツの強制収容所体験を綴ったもので、ファシズムとは何かを知る格好の書物です。「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描き、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読み継がれています。


テキスト:ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房)
 ※旧版(霜山徳爾訳)と新版(池田香代子訳)がありますが、いずれの版のものを読んできても構いません。

日時:5月22日()18時30分から
 ※5月の第3週(12日〜18日)はお休みです。ご注意ください。

場所:キャンパスプラザB312(現社研の部室 キャンパスプラザB棟3階)

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 現社研では新入会員を随時募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。
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さて、今回(5月8日)の学習会のテーマは「日本外交について」で、日米安保と平和憲法の関わり合いについて主に報告がなされました。以下、当日の報告の内容を、確認の意味も込めて、ごくごく簡単に要約して振り返りたいと思います。

 憲法第九条を掲げる日本国憲法は「平和憲法」とも呼ばれます。いわゆる「護憲」といえば、日本では、憲法九条の改訂阻止をまず意味します。「護憲」派にも様々な立場がありますが、どうしても「平和への祈り」という議論に傾きがちで、そのことが情緒的で感情論的であると見なされることもあるようです。

 報告者は、そのような「平和への祈り」から議論を組み立てるのではなく、「いかにして戦争を回避するのか」、そのための真の意味での「国益」計算とその実行が必要だと主張します。すなわち、伝統的な従来からの主張を、「日米安保」論と「平和憲法」論に区別し、いずれの立場からも真の意味での「国益」を達成できないとします。「日米安保」論の問題点はいろいろありますが、「アメリカの顔をうかがうことしかでないため、外交政策の選択肢が著しく狭まる、日本独自の外交政策を立案できない。また、立案する工夫の能力を奪う。」などの批判を報告者は挙げています。また、「平和憲法」論の問題点もいろいろありますが、「一国平和主義、国内消費用の側面があったのではないか。対外政策の指針ではなく、対外的なコミットメントを制限する性格を持つ。『平和』とは現実の国際紛争の解決ではなく、非武装という理念に終始するもので、具体的な政策指針を産まない」などの批判を報告者は挙げています。

 そこで、報告者は、上記いずれの立場でもない「第三の道」を模索します。すなわち、「核武装」論と「積極的平和」論という立場を検討します。「核武装」論は「もはやアメリカは頼りにならない」から、対米自立を図る手段として核武装をするべしという立場です。しかし、「核武装」論はアメリカや中国の警戒を招き協力関係が崩れる要因となり、東アジアの火種となるとして、その立場は排します。

 そこで、報告者は比較的優れた立場として「積極的平和」論を提唱します。「積極的平和」論とは何か。それは各国と緊密に協力しつつ現代国際社会の抱える課題に積極的に取り組む立場とされ、具体的には、①(日中米の)安定的平和の構築への取り組み、②(アフガニスタン、ソマリアなどの)破綻国家への取り組み、③(北朝鮮の核保有など)世界的な核拡散の脅威への取り組み、④(地球温暖化など)の環境問題への取り組み、などの現代国際社会の抱える課題の解決を目指すものとされます。

 「積極的平和」論とは、国際平和が日本の国益に資するものだとされ、そのため、日本は国際関係の安定のために積極的にコミットメントすべきである。そのことが結果として、北東アジアの平和と安定につながり、日本の経済成長という「国益」にも合致するとされます。なぜ、国際平和が国益となるのか。その理由は、三点あります。第一に、自由貿易が世界中に拡大しつつあるのでわざわざ軍事力を用いて他国を侵略し市場を広げる必要性はない。第二に、資源を軍事力で奪うよりは外交努力による資源調達の多様性を担保したほうがコストが低い。第三に、軍事力を背景とせず国際的な発言力を持つためにはシステムの構築とその中でのイニシアティブをとるのが一番である。以上の理由です。

 報告者が「積極的平和」論を唱える意図は、日米関係の再定義にあります。すなわち、「日米同盟死守」というこれまでの日米安保論は、日米同盟という手段で何を達成するのかという目的が提示できず、むしろ手段が目的化してしまっているという弊害があります。大切なのは、日米両国が協力して何を達成するのか、その「作業目標」の構築が必要です。日米安保はあくまで「手段」であることへの認識が欠如しており、そのことなしに、日米同盟のこれからの維持と発展はありえないと、報告者は強調します。

 そこで、このような伝統的議論の落とし穴を回避するために、日米関係の再定義が求められるわけです。「安全保障」論も「平和憲法」論も国内にしか目を向けない視野の狭い議論であり、国際的な平和を実現するために日米安保をどう活用していくのかという視点が重要であって、国防としての日米同盟を否定する必要ではなく、むしろ日米同盟を二国間から多国間へと昇華させることが大切である、と議論を締めくくります。

 当日の報告は以上です。かなり粗い要約であり、報告者の意図を十分に汲み取ることができたとは思いませんが、詳しくは現社研の部室でまた議論していきたいと思います。

 私は報告者の一貫した主張には感服し、教えられることも多々ありました。ただ、私個人として疑問もないわけでありません。それは、報告者が退ける「平和憲法」論の問題点の指摘です。もちろん、「平和憲法」論が「平和への祈り」から出発していることを否定しませんが、日本国内へと議論が閉塞していき、多角的なマルチラテラルな国際関係の構築に背を向けてきたのか、といえば、事実とは異なると私は考えます(例えば、石橋政嗣『非武装中立論』など)。つまり、報告者の語る「積極的平和」論は「平和憲法」論がこれまで多種多様に論じてきた議論とむしろ重なる点が多いというのが、歴史的な事実だと思います。だから、議論するべきは、「積極的平和」論=「平和憲法」論(かなり乱暴ですが、私はイコールで両者を結びつけます)が、それでもなお、多角的な平和構築に必ずしも成功してこなかったのはなぜか、という点にあるのではないでしょうか。問題は「それでもなお」にあると思います。

 それは、逆に、「憲法九条が70年近くにわたってまがりなりも維持されてきたのはなぜか?」という問いにもつながるでしょう。もちろん、冷戦構造下での偶然的な要素にも左右されてきたでしょう。しかし、私は憲法九条を日本人の多くが憲法感情として支持してきたこと、憲法九条が軍国主義への単なる「反省文」ではなく不戦条約や世界人権宣言などの人類史的な営みとつながる世界史的意義を有しており、他国が不用意に蹂躙することが許されない意味を持っていたからではないでしょうか(例えば、ジャン・ユンカーマン監督『映画 日本国憲法』など)。

 報告者は「日本の国益を達成するためにアメリカを手玉に取るほどの交渉力を有するうべきだ」という趣旨の発言をしていました。もちろん、交渉力を磨くことの重要性を否定するつもりはなく、むしろ積極的に取り組むべき課題だと思います(例えば、国益うんぬんの議論は、小林直樹『憲法第九条』など)。しかし、優秀な外交エリートの力だけでは、アメリカの対極東軍事戦略との激突を制することができるとは思えません。その戦略の背後には、アメリカ国内の軍産複合体や多国籍企業の圧力もあることでしょう。言うまでもないことですが、状況は複雑にして混線しています。そのことが国益計算を難しくしています。

 様々な分野のエリートから人民大衆までの戦後日本の叡智を集めてきた「平和憲法」論によって、憲法九条は守られてきたわけですが、同時に他国(特に、冷戦期には米ソの超大国)の思惑に弄ばれて、多角的な平和体制の構築に成功を収めてきたとは必ずしも言い切れないのも確かでしょう。なぜ、戦後日本の叡智をもってすら、憲法九条の形骸化を許し、東アジアの軍事的な緊張を解くことができないのか。その理由を日本のパワー・エリートの交渉力の欠如だけに収斂していってよいのか(この点について、報告者も否定しないと思います。)

 以上、報告者に対する批判を書きましたが、私の理解力不足から来る誤解もあるかと思います。また、賛成できる点も多々ありました。例えば、「安定的平和の構築」の具体例として、米日中三カ国サミットや日米中韓露五カ国協議の開催や、歴史問題の解決として村山談話を再確認することやと友好条約における戦争責任の明記によって戦前の日本と戦後の日本との峻別を明確化するという提案などです。
 

 日本の外交政策について、現社研の場でも議論を引き続きおこなっていきたいと考えています。報告者をはじめとして参加者の皆さん、今後ともよろしくお願いします。
 

【文責:飯島】