2014年10月12日日曜日

次回の学習会は10月14日(火曜日)です。

次回の学習会の予定は以下の通りですので、よろしくお願いします。
 
●次回学習会(駒場祭に向けた学習会)

日時:10月14日(火曜日)18:30
○場所:キャンパスプラザB312(部室)
○内容:社会保障について
(より具体的な内容は、当日に報告者から発表されますので、ご了承ください。)
(※なお、今後の学習会の際には適宜、学習会後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、10月8日開催のTOSMOSの学習会に参加の皆様、お疲れ様でした。

 当日の報告は「社会保障のあゆみ」と題して、社会保障の歴史をたどってみました。

 ここでは、当日の報告のなかから、イギリスと日本における社会保障の歴史を中心に、報告の模様についての簡単なまとめを試みます。

 まず、エンクロージャー(囲い込み)政策で貧困に陥った人々を「救う」(多分に「更生」)という見地から、イギリスで最初に救貧法が登場します。救貧法のなかで特に有名なのが、貧民救済ではなく社会的秩序維持をあくまで目指した、1601年のエリザベス救貧法です。そこでは、貧困の原因は個人の問題(すなわち、「貧困になったのは怠けていたから」)に解消され、施策はあくまで、その更生に重点を置いたものでした。やがて、市民革命、産業革命を経て、1983年の新救貧法が登場しますが、レッセ・フェール全盛期のこの法律は、結局貧困窮乏を個人の責任として、救済を自助の失敗にする懲罰・見せしめとすることを目的としていました。

 しかし、産業発展のなかで、労働者が団結して労働組合を結成し、社会保障的施策を要求していきます。1873年から1893年の大不況期では社会主義の活動が活発となり、あるいは各種の社会調査による貧困の「発見」がおこなわれ、社会問題が人々の関心事となっていきました。それらの動向から導き出された解答は、貧困が慈善事業や相互扶助では対応しきれないことを認識させ、何らかの形で国家政策による制度的対応をすべきということでした。こうして、1911年に社会保険として国民保険法の成立に至ります。

 さらに、1942年のべヴァリッジ体制の確立によって、戦後のありうべき社会のビジョンを提示し、それが戦後労働党政権によって実現化され、1950年代から60年代までの「ゆりかごから墓場まで」という高度な福祉国家が成立します(ドイツのビスマルク施策や世界恐慌以降のニューディール政策の一環としての社会保障法などの歴史的過程はスペースの関係上、割愛します)。

 
 では、日本の場合はどうだったのでしょうか。日本における本格的な社会保障政策は第二次世界大戦中の一連の保険法を嚆矢とすると考えてよいでしょう。すなわち、1941年の労働者年金保険法の制定、1944年の厚生年金保険法の制定などです。敗戦を迎え、第25条で「生存権」を規定した新憲法が日本の社会保障政策の理念的後押しとなり、経済も復興そして高度経済成長への進展すると、社会保障の拡充がおこなわれます。それが1961年の国民皆保険と国民皆年金のスタートです。そして、1973年には厚生年金保険法改正され、医療保険では給付率が5割から7割に引き上げられ、老人医療費の全国無料化が実現します。ゆえに、この年を「福祉元年」だと呼ぶ人もいます。
 

 ところが、「福祉元年」直後に、中東戦争勃発による石油危機から、イギリス・日本を含めて世界的に経済が停滞するというスタグフレーション(景気後退期における物価上昇)が発生します。それらの解決の見通しがたたないまま、低成長時代へと入ります。従来型の有効需要(貨幣支出に裏支えされた需要)喚起政策による福祉国家の拡充が財政的にも難しくなります。そのなかで、サッチャー、レーガンに代表される新自由主義者による福祉政策の縮小が行われます。日本においても、この流れを受けて、近年、社会保障制度審議会や私的諮問機関の有識者会議では、「自助努力を補う社会保障制度」があるべき姿だとして、「自己責任」が強調されるなど、かつての「貧困は怠け者」という、社会認識上の後退が生まれつつあると言えるかもしれません(その点は議論の分かれるところだと思いますが)。
 

 そして、いま日本では「規制緩和」のお題目のもとに、これまで公共財的な側面が強かった社会保障分野に民間企業を参入させて利潤追求の場としようとしています。その結果は日本ではまだ明確になっていませんが、利益の上がる美味しいところだけをかすめとる、クリーム・スキミング行為が頻発し、本来あれば公共的な意義のある事業体も不採算であるとすれば、簡単に切り捨てられてしまう事態が生じようとしています。
 

 1950〜60年代のヨーロッパのような福祉国家をもう一度再現することは難しいものの、高齢化の一層進む日本では、社会保険と公的扶助(生活保護)との理念とはなんであったのかを歴史的に振り返り、そしてわれわれはいかなる理念のもとに社会保障のあるべき姿を構想するのか、という喫緊に解決すべき局面に立っていると言えるかもしれません。

【文責:飯島】