2018年7月27日金曜日

公開ゼミ「近代日本と天皇制について考える」報告(2018年6月26日実施)

 TOSMOSでは、2018年6月26日に、松井隆志氏(武蔵大学准教授)を講師にお招きして、公開ゼミ「近代日本と天皇制について考える―白井聡『国体論』の批判的検討をふまえて」を実施しました。
 以下に、この公開ゼミにおける松井氏の報告部分の要旨を掲載しますので、ご興味のある方は、ぜひご一読いただけると幸いです。


TOSMOS公開ゼミ
「近代日本と天皇制について考える
 ―白井聡『国体論』の批判的検討をふまえて」 報告

●開催日
2018年6月26日(火)
●会場
キャンパスプラザB312(部室)
●講師
松井隆志氏(武蔵大学准教授)
 
 

■松井隆志氏の報告の要旨

 
0 白井『国体論』のわかりづらさ

 この本は、部分的には、その通りだと思ったり、「そうなのか」と思った箇所もあったが、全体として読むと、「これは本当なのだろうか」というような読後感を私は持った。
 形式上の難点としては、学術書のように「この議論の先行研究はこうなっており、ここに依拠している」ということが、全部は書かれておらず、主要なものだけが書かれているので、何を下敷きにしているのかが見えにくい。それと、既存の文献どうしを組み合わせて、既存の文献が述べていないことを無理にでも述べようとするので、全体の組み合わせとしては、変な内容になりがちだと感じた。
 内容上の難点としては、キーワードとされる「国体」がきちんと定義されていない。結局、「戦前は『天皇第一』でそれに従ったが、戦後は『アメリカ第一』でそれに従って、両方失敗した」という話だが、それを「国体」と命名する必要があるのだろうか。さらに、「天皇」と「アメリカ」とでは、相手が「人」か「国」かという違いや、軍事的な面や宗教的な面なども異なるので、それをつなごうとすると抽象的になる。その結果、戦前と戦後の重ね合わせがかなり強引になっている。
 政治的な面での難点としては、戦前も戦後もゆきづまったというのであれば、「天皇もアメリカもやめよう」という話になるのが筋だと思うのだが、この本は「アメリカはやめよう」という感じである一方で、天皇については、2016年のメッセージを重く受け止めて、そこに活路があるかのような雰囲気で取り上げており、主張がよく分からない。これは「天皇を口実にした革命」ということで、北一輝のような路線を狙っているのかもしれないが、でもそれは、結局「国体」に行きつくだけだ。このように、政治的に複雑なことをしようとしている分かりにくさが、この本にはあると思った。


1 近代における天皇制の導入

 天皇制というと、一般的には「日本の古代から続く伝統や文化」というイメージがある。
 しかしながら、西川誠氏の『天皇の歴史7 明治天皇の大日本帝国』(講談社・2011年)によれば、明治天皇の即位式では「孝明天皇までの即位礼から大きく改変された」という。改変のポイントとしては、中国風の要素を排除したという点や、仏教的な要素を排除したという点などがあげられている。このように、相当の部分が新たにこの時期に「創られた伝統」なのである。ではなぜ、そのようなことをしたのか。
 『国民国家論の射程』(1998年・柏書房)を著した西川長夫氏によれば、「国民国家」は外部との関係のなかで確立される。というのも、他者が意識されてはじめて、自己が確立されるからである。たとえば、明治維新では攘夷の思想が掲げられたが、日本に限らず、そもそも「国民国家」自体が、外部との関係のなかで確立していく。とくに、後発の近代化に迫られた日本は、欧米の「パーツ」を輸入して、他国をまねして「国民国家」を確立した。
 そして、こうした「国民国家」をつくるために、シンボルとして国民統合を進める上で使い勝手がいい、ということで整備されたのが、日本の近代天皇制である。西川氏によれば、ルソーの『社会契約論』にいう「国家宗教」とは、国民を精神的に統合する役割を果たすものであって、ヨーロッパではキリスト教がその役割を果たした。ところが日本には、それにあたるものがなかったために、天皇制が「国家宗教」として据えられた。ではなぜ、「仏教」ではなく「天皇制」だったのか。そこは、明治維新の原動力の1つが「尊皇攘夷」であったから、「神がかった天皇」を引きずらざるを得なかった。したがって、近代天皇制は、「国家の機能」という側面と同時に、「宗教的なもの」という側面も備えていた。


2 明治憲法体制

 戦前の「国体」はどうやってできたかについては、白井氏の『国体論』は構造的な説明が弱い感じで、むしろ、片山杜秀氏・島薗進氏の『近代天皇論』(集英社新書・2017年)が参考になる。ただし、この本は、最後の第7章になって突然、「いまの天皇夫妻を大事にしなければ」という謎の展開になっているのだが、第6章までは参考になるので、私の説明もこれを参照する。
 まず、明治憲法体制というのは、鈴木正幸氏の『皇室制度』(岩波新書・1993年)などによれば、憲法と皇室典範が横並びの関係になっている。
 では、明治憲法の中身はどうかというと、白井氏は立憲主義に引き寄せた解釈をしているが、明治憲法は「天皇は神聖にして侵すべからず」という天皇大権(神権天皇)の内容を持つ一方、伊藤博文らは立憲主義的に運用することを想定しており、その中に矛盾を抱えていた。
 その結果、かたや天皇の名の下に、軍部のように好き勝手をやる人たちが出て来るし、民間では「神の国」だということで、非合理な暴力やテロの土壌になった。ところが、天皇は口を出さないことになっており、政府も責任を負わないということで、誰も責任を負わない体制のまま、破滅的な戦争への道を転げ落ちていった。
 この明治憲法体制については、久野収氏・鶴見俊輔氏の『現代日本の思想』(岩波新書・1956年)の中で、久野氏が「顕教」と「密教」という言い方をしている。久野氏によれば、「顕教」というのは「天皇を無限の権威と権力を持つ絶対君主とみる解釈」であり、「密教」というのは「天皇の権威と権力を憲法その他によって限界づけられた制限君主とみる解釈」である。
 官僚や伊藤博文らの立場は「密教」の立場で、天皇は棚上げにして普通の近代国家として運用するつもりだったが、結局、軍部や民間の右翼による突き上げの中で「密教」のほうが敗北していき、「天皇機関説」が否定されていく流れになる。ただ、「顕教」と「密教」がくるっと入れ替わったような言い方がされるが、こういう明治憲法の矛盾は最初からあって、それが戦争に至る「国体」の根本的な問題だった。
 さらに、戦争が進むときに、反対運動が起こせればよかったのだが、1930年代以降になってくると、その余地がどんどん狭まってくる。その背景には、明治憲法では自由や人権が制限されていたことがある。だから、天皇制を批判する自由は治安維持法でますます失われていき、天皇をトップにする政府を批判する自由も、簡単に否定できる構造となっていた。これは、前述した「国民国家」のパーツを輸入する際に、かなり意図的に、自由を骨抜きにして権威主義的な国家をつくったのだといえる。


3 「戦後」という折り返しへ

 一般には、「戦前の過ちを反省して、GHQが良い日本国憲法をつくった」というイメージが持たれているが、昨今の議論は、日本国憲法はたんなる押しつけでもないということを明らかにしている。つまり、日本国憲法の制定にあたっては、GHQが当時の日本の支配層を脅したのだが、これに対して彼らは「わかった」と言った。なぜかというと、「古い憲法のままでは天皇制の将来はないぞ」という形で、事実上脅したからだ。つまり、天皇制を憲法第1章で象徴として残す代わりに、9条を入れると。それは、国際的にも「東京裁判で天皇を戦犯にしろ」という声があるなかで、天皇制をなんとか残すために、できるだけラディカルな装いで、国際公約として9条を見せたのだ。だから、当時の支配層がこれを飲んだのは、1章があったから9条を飲むという取引だった。しかも、もともと天皇自身は、親英米派で戦争したかったわけではないと言われており、アメリカと喜んで同盟を組んだ。すなわち、天皇を先頭にして、国家全体のある種の「転向」が起こった。
 では、安全保障の問題はどうなるかというと、マッカーサーの想定としては、沖縄はそのまま占領して要塞化しながら、本土は9条で非武装にするというものだった。これに対して、昭和天皇は「沖縄メッセージ」を送り、米軍による沖縄の軍事占領の継続を希望する旨を表明した。
 そして、東京裁判では、陸軍を中心とした一部の人たちの謀議によって戦争が起きたというストーリーで、天皇を含む他の人々に罪が及ばないようにして、丸く収めた。ちなみに、靖国神社にA級戦犯を合祀した後は、昭和天皇は靖国神社に行かなかった。なぜかと言えば、自分が助かることと裏表の関係で、A級戦犯には罪があったというのを飲んだのが、東京裁判でありサンフランシスコ講和条約であるから、そこを参拝することは、それにけんかを売ることになるからだ。
 そして、旧安保条約の締結については、豊下楢彦氏が『昭和天皇の戦後日本』(岩波書店・2015年)などで精力的に明らかにしている。それによれば、当時、アメリカは日本を基地として使いたいが、日本側には当然、国内に外国の基地があるのは国辱だという考えがあるなかで、「基地を使わせるのと引き換えに日本を守ってほしい」という交渉が可能だったと豊下氏は言う。ところが、実際の旧安保条約は、米軍は基地をただ使うだけで、日本を守る義務がない条約になっている。なぜそうなったかと言うと、豊下氏によれば、マッカーサーと連絡を取って、そうした内容の安保条約の成立を後押ししたのは、昭和天皇ではないかという。この点については、白井氏もその結論を引いているのだが、ショッキングな出来事であるといえる。
 したがって、アメリカが日本を守るためではなく、アメリカが自由に基地を使うために日米安保条約が結ばれた。その後、新安保条約では一応、相互防衛ということになっているが、そのぶん日本も、アメリカの戦争に参加しないといけなくなるという関係のなかで、今日がある。
 それから、1960年の新安保条約では一応、日本の主権を少し回復したことになっているが、密約によって、いざ戦争が起きたときにはアメリカの指揮下に全部入るとか、あるいは、核の持ち込みにも事実上、文句を言わないとされており、昭和天皇が敷いたレールに沿って、その後の歴代政府も、アメリカの言うことは基本的に全部飲んできたのが、戦後である。
 さらに、戦前と戦後の連続について言えば、官僚層や司法の連続性の問題がある。これはやはり、戦後にナチの責任を自分たちで追及したドイツとは異なり、日本においては、国内での責任追及が十分になされなかったことが大きい。1960年代以降、ベトナム戦争反対運動のなかでようやく、日本の加害責任という議論が浮上して、これが90年代以降、慰安婦問題などにつながっている。こうした歴史のなかで、日本の右翼が星条旗と日の丸を振りかざすというような状況になったのは、彼らは「反共」しか結集軸がなかったためである。


4 現在天皇制があることの「意味」

 山本雅人氏の『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書・2009年)に詳しいが、日本国憲法には政教分離の規定があるにもかかわらず、天皇は現在でも祭祀をしている。これは、戦前は祭祀を堂々とやっていたのだが、戦後は「私的な行事だ」と言い張って、私的行事として生き残っている。
 ところがいま、たとえば宮内庁のウェブサイトにも、「宮中祭祀」という欄がある。だから、それが公然と復活しつつある。そもそも、日本国憲法では平等や基本的人権の尊重が定められているのに、天皇制があるというのは矛盾しているわけだから、それが残ってしまったという問題がある。さらに、デモなどで「天皇制反対」と言うと右翼が襲ってくるような状況があり、天皇制があることによって、日本国憲法のよりましな部分が、内側からなくなっていくのだと言えると思う。
 ただそれは、戦後ずっとそうだったのだ。戦後民主主義なるものは、実はずっと、そういう象徴天皇制を抱えており、白井聡氏は、憲法9条についてそのことを指摘している。つまり、9条があるのに、自衛隊があり、アメリカの戦争を手伝ってきているなかで、「9条を守れ」だけじゃ足りないということを言っている。けれども、そうであれば、天皇制についても同じことを言うべきなのに、白井氏が、天皇の「お言葉」を重く受け止めるようなことを述べているのは、よく理解できないと思った。

(編集:TOSMOS会員 須藤)

※この報告は、公開ゼミにおける松井氏の報告部分について、当日の報告内容をもとに、編集を加えて文章にしたものであり、文責は編集担当者にあります。


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【文責:須藤】